ほんのりまろびね

パワプロクンポケット(パワポケ)の二次創作小説(SS)をぼちぼち書いてます。

智美のビター・チョコレート

(初出:2008年)

 

未だに1の正史ルート見れたことないのよね。

 

 


 二月十四日。
 セント・バレンタインデー。
 世界各地の恋人が愛を誓い合う日。
 その歴史は古く、ローマ帝国があった頃まで遡る。たしか、婚姻を禁じられていた兵士を秘密裏に結婚させたキリスト教の司祭・バレンタイン司祭が処刑された日だ――四路智美は、以前読んだ本か何かの記憶を呼び起こし、フンと小さく鼻を鳴らした。
 チョコレートなんて、その話にはどこにも出てこない。
 当時のローマでは、急速にキリスト教が広まっていた。当初は皇帝により迫害されていたキリスト教であったが、その浸透力は凄まじく、ローマ帝国側も帝国統一の手段として利用するべく同宗教を容認する方針へと舵を切ったのだ。晴れて国教の座を手にしたキリスト教は、より確固たる信仰の土台を構築すべく、それ以前に民衆に広まっていた文化や風習をキリスト教の色に染め変えることを目論んだ。
 バレンタイン司祭が処刑された日も、ローマにとっての祭りの日であった。キリスト教会は、この異教の要素を体よく排除したかったのである。そんな思惑から生まれたのが、司祭の名前を冠した――つまるところ、その殉死にかこつけた――バレンタインデーなのだ。
 現在、多くの人々が何の疑いも無く愛を誓い合う日だと信じ込んでいるこの日は、その歴史を辿ればキリスト教がその支配力を強めるために作り上げた記念日に過ぎない。そう考えると、キリスト教にいいように踊らされているようで、そもそもその日に愛を確認するという行為自体がくだらなく思えてくる。
 さらに言えば。愛しい人にチョコをあげるなどという薄ら寒いイベントは、製菓会社が勝手に作り出した、ただの販促手法の一つに過ぎない――まったくもって、くだらない。
 それに加えて、日本独自の行事・ホワイトデーが智美のバレンタインデー嫌いに拍車をかけていた。チョコをあげれば、否応無しにホワイトデーでは『おかえし』が返ってくる。この、妙に恩着せがましいやり取りが、智美は大嫌いだった。
 そう、嫌いなのだ。嫌いなはずなのに――
「なーんで、あたしはこんなものを持ってるのかしらね……」
 机の上の四角い箱を弄びながら、小さくぼやく。簡単に包装されたその箱の中身はあろうことか、智美が最も忌避していたバレンタイン・チョコだった――それも、手作りの。
 誰もいない野球部の部室で、じっと目当ての男がやってくるのを待つ。窓の外の空は、ようやく白み始めてきていた。誰にも見られたくないからという理由でいつもより二時間も早く起きたためか、ふあ、と小さく欠伸が漏れた。目元も少し腫れぼったい。目的を達成したらすぐにでも教室に行って眠りたかった。
 とても暇だ。それに、寒い。
 チョコの箱を恨めしげに睨み付ける。こんなものを渡そうと思わなければ、こんな思いはしなくて済んだというのに。つくづく、どうしてチョコを贈ろうなどと血迷ってしまったのかと自分を問い質したくなる。
 三矢翔一を異性として意識し始めたのは、まだ暑かった頃のことだった。
「正しくないやり方で手に入れたものからは、満足は得られない」
 智美からすれば、世間の非情さを理解していない、あまりにも青臭いセリフだ。だが、夕焼けに照らされた少年の愚直なまでに真摯な瞳には、遠い昔に智美が失ってしまった純粋な輝きがあった。混じりけの無い『カッコよさ』があった。
 自分をごまかすつもりも到底ない。単純にその瞬間、智美は彼に惚れたのだ。
 それから、何度かデートに誘ってみたりした。だが、翔一の心は一向に傾きそうに無い。というより、デートに誘われたと気付いていないのではないかと疑ってしまうほど、翔一は鈍感なのだ。別れ際に何も考えていなさそうなからっとした少年の笑みを見るたび、智美は強烈な脱力感に襲われていた。
 昨晩のキッチンでの苦闘が脳裏に浮かぶ。チョコレートなんて、自分のために作ったこともない。少女漫画のように指を傷だらけにすることこそなかったが、晩ご飯は大量の失敗作になった。経済的にもなかなか厳しいというのに――家計簿の数字まで思い出され、智美は今日何度目か分からない大きな溜息を吐いた。
 これを渡したところで、おそらくあの朴念仁は智美の気持ちになんて一切気が付かないだろう。調理中に何度か都合のいいシーンを妄想してみたが、自分の顔には常に靄のようなものがかかってしまい、言葉も何を話しているのか全く聞こえなかった。自分にはどうにも、少女漫画のようなシチュエーションは縁遠いらしい。
 ――ああ、もう。なんでもいいから、早く来なさいよ! ていうか、なんでまだ練習してないのよ!
 心の中で彼をなじり続ける。
 どうやら智美のイメージでは、翔一は夜明け前からグラウンドで練習するような男らしい。
 すると、その願いが届いたのか、部室の外から足音が聞こえた。
 途端に、急に息苦しさを覚えた。智美は机に突っ伏していた体をしゃんと正すと、生唾をごくりと飲み込んだ。
 一体、どんな顔をして待っていればいいのか。なんて言いながら渡せばいいのだろうか。「不味い」と言われたらどんな反応をすればいいのか。毒にも薬にもならない妄想ばかりしている暇があったら、どうしてもっと現実的な作戦を練れなかったのか――頭の中は軽いパニックに陥っている。
 そんな智美が中にいるとは知らず、足音は遠慮なく近付いてくると、部室の扉の前で立ち止まった。
 どうしよう。
 寝不足も相まってか、まったく思考はまとまらない。
 ああもう、少し待ちなさいよ――先程とは真逆の勝手な願い。
 今度は届くこともなく、無常にもドアは開かれた。
「男~武田は~一本気のナイスガイ~。あれ、あんた、なんでいるッス!」
 謎の歌を口ずさみながら姿を現したのは、待ち焦がれた翔一ではなく武田だった。智美は光速のスピードで机の上のチョコを体の後ろに隠すと、怪訝な視線を向ける武田にわざとらしい作り笑いを浮かべた。
「あ、あはは。目覚ましの時間、間違えちゃったのよ。二度寝したら遅刻しそうだったから、仕方なく来たの」
「ふーん……あんた、意外と抜けてるッスね」
 余計なお世話だ。智美は笑顔を崩さずに小さく舌打ちをした。
「そ、それより、武田君はいつもこんな時間に来てるの?」
「ああ、そッスよ。男武田はいつも一番乗りッス。練習は裏切らないッスからね」
 武田は誇らしげに鼻の頭を擦る。だが聞きたいのはもちろんそんなことではない。
「へー、そうなの。じゃあ、キャプテンはいつ来てるの?」
「ああ、キャプテンは遅いッスよ。弁当とか自分で作ってるらしいッスからね」
 キャプテンは遅い――気の抜けた風船のように、全身から力が抜けてゆくのを感じた。
「そ、そうなんだー……い、意外ね……」
「そうなんス。いやー、キャプテンも大変ッスよね。じゃ、俺はランニングしてくるッス。あんたもどうッスか?」
「いい。遠慮しとく」
 誰が行くか、という声が漏れなかったのは最大のファインプレーだと、智美は思った。
 武田に短く辞意を告げると、部室からよろよろと抜け出る。
 グラウンドに差し込み始めた陽光の眩しさで滲み出た涙を指で拭いながら、智美は教室で寝るため、ふらふらと覚束ない足取りで歩き出した。

 

 

「どうしたんだ、智美。今日はずいぶん豪快に寝るな」
 頭の上から降ってきた声に顔を上げると、見慣れた野球部のユニフォームの男が苦笑いを浮かべながら智美を見下ろしていた。
「寝不足なのよ。悪い?」
 思ったよりも剣呑な声に自分で驚きつつ、手の甲で双眸を擦る。時計を見ると、既に放課後に突入しているのが分かった。目の前の男が、肩をすくめる。
「いや、全然。じゃ、今日は早めに寝ろよ」
 じゃあな、と片手をあげると、男は智美の前から去ってゆく。まだ眠気の覚めきっていない智美の脳は、その時になってようやく、今話していた男こそが自分の寝不足の原因じゃないか、と遅すぎる判断を下した。
 放課後の教室は喧騒に包まれており、さりげなく渡せば誰もその行為には気付かない。そのうえ、クラスメイトたちもバレンタインに興じているのか、そこかしこでチョコのやり取りが行われている。今なら、この雰囲気なら、さり気なく渡せる。
 なにしてんの、折角のチャンスじゃない――慌てて鞄の中からチョコを取り出すと、教室を出ようとしていた翔一の背に声をかける。
「ね、ねぇ、みつ」
「――翔一君! はい、これ」
 呼び止めようとした声に、別の女の子の声が重なった。
 翔一の振り向いた先に立っていたのは、突き出した両手に可愛らしい包み紙を乗せた明日香だった。
「ん? もしかして、チョコ?」
「うん! 美味しく作れたと思うんだけど。食べてみて、翔一君」
 翔一は嬉しそうに口元をほころばせながらそれを受け取ると、乱暴に包み紙を開け始めた。
 ああ、そんな雑に。本当に、女心がわかんないヤツね。
 智美の心の声が聞こえるはずもなく、可愛い包み紙は一瞬でゴミへと変わった。
「じゃ、いただきます――!?」
 一口サイズのチョコを二、三度咀嚼した途端、翔一の目が大きく見開かれる。微妙に顔を引き攣らせながらそれを飲み込むと、恐る恐るといった様子で微笑みながら感想を待つ明日香に尋ねた。
「……タコ?」
「うん! 隠し味に入れてみたの。どうだった、翔一君?」
「……全然隠れてはいなかったけど、意外と美味かったな」
「よかった! それじゃあ練習頑張ってね、翔一君!」
 明日香、頬を僅かに上気させながら、ぱたぱたと小走りに教室から出てゆく。
 翔一はその背を見送りながらもう一つチョコを頬張ると、「クセになるな……」と小さく呟き、智美の方を見た。なぜか思わず、智美はその背にチョコの包みを隠してしまった。
「そういや、智美も呼んでなかったか?」
「え、えーと……な、なんでもないわよ」
 バカ――どうして今渡しちゃわないのよ。
 本心とは裏腹に、言葉はいつも通りの平穏な選択を選ぼうとする。
「それより、早く野球部の練習に行ったほうがいいんじゃないの?」
「ん、そうだな。じゃあな! 早く寝ろよ!」
 翔一はクセになったらしいチョコを口に含みながら頷くと、薄い鞄を引っ掴み教室を後にした。残された智美は、その姿が見えなくなったのを確認すると、はぁぁ、と大きく溜息を吐いた。ただチョコを渡すだけのはずなのに、どうしてこうもうまくいかないのか。自分がチョコを渡しているヴィジョンが、さらに薄くなっていく気がした。
 いや、まだ放課後になったばかりだ。チャンスはきっとある。
 智美は自身を鼓舞するように小さく頷くと、翔一の後を追うべく鞄を持ち教室から駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だがどういうわけか、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっ、三矢君――」
「せんぱい! バレンタインのチョコレートです!」
「おお、由紀ちゃん。ありがとう!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こういう日に限って、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「三矢く――」
「あーっ、いいとこに来たじゃーん! はいっ、バレンタインチョコー。どう? チョーハッピーってかんじー?」
「自分で言うな、マリコ。しかもこれ、チロルチョコじゃないか!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 天に見放されたのかと疑ってしまうほど運が悪く、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「みつ――」
「三矢君。はい、チョコ」
「ありがとう、みなこさん! ん? これは……」
「うん、チョコパン! はい、あと牛乳。この牛乳はタダじゃないよ」
「カネとるんだ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局智美はチョコを渡せぬまま、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「み――」
「ふふーん。ダーリンはどこにいるです?」
「うわっ! あ、あれ? さっきまでそこにいたのに?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜を迎えてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 夜気に包まれた静かな公園。智美はブランコに座り、ぼんやりと膝の上に置いたチョコの箱を眺めていた。
 ツいてなかったのだと、天運のせいにするのは容易い。だが、渡せなかった理由が自分自身にあったことは、智美自身が十分理解していた。素直になることがここまで苦手だったということに、驚きを隠せなかった。自分はもう少し器用だと思っていたのに。
 手元にあるチョコは、今となっては何の意味もない。
 いや、元から何の意味も無いものだったのかもしれない。
 捨ててしまおうかとくずかごに目をやったとき、腹の虫が小さく鳴った。辺りに誰もいないのを確認し、ふぅと小さく息をつく。そういえば、お腹空いたな――手元の箱に視線を落とした。二日連続になるのは気が引けるが、腹に入るならなんでも同じかと箱を開けようとして、智美はその手を中空で止めた。そして、目を瞑り首を横に振ると、ブランコから立ち上がりくずかごへと歩き出した。
 これに懲りたら、二度とチョコを送ろうなんて思わないのよ。
 くずかごを目掛け、チョコの箱を放る。
 そしてその箱は、見向きもされないゴミの一つとなる直前、がっしりと空中でキャッチされた。
 ぽかんと口を開きつつ、その腕の主を見上げる。
「早く寝ろって言ったのに、何してんだよ。智美」
 そこには、興味深げに箱を見るジャージ姿の三矢翔一がいた。
 こんなことが起きるなんて。
 翔一は箱を耳元まで持っていくと、中身を確認するように軽く振る。
「小さいな。もしかして、チョコか」
「えっ? あ、うん。そ、そうだけど」
「捨てるなんてもったいない。食おうぜ」
 そう言うと、翔一は何の躊躇いも無く箱の包装を解いてゆく。
「ちょ、ちょっと待って。三矢君、どうしてここに来たの?」
 言った後で、自分を責めた。
 どうだっていいじゃないか、そんなこと。
「見ての通り、ランニング中に見かけただけだ」
 翔一は面倒臭そうに唇を尖らせると、自分のジャージの胸元をくいくいと摘む。そして解かれた包装を捨てると、箱を開きチョコを一つ取り出した。
「手作りか。形はいい感じだな」
 偉そうにに寸評を述べ、チョコを口に運ぶ。
 何度か口の中で転がすと、急に翔一は眉を顰めた。
「バレンタインのチョコにしては……すっげぇ、苦いな。智美も食ってみろよ」
 苦言と共に手渡されるチョコを受け取る。だが、智美の耳にはその声は届いていなかった。
 まるで三流ドラマか何かのようなチャチなお話。それでも、この神懸り的なタイミングで目の前に思い人がいるのは紛れも無い事実だった。心臓の鼓動が高鳴ってゆくのを、智美は再び感じた。声にならない声が、心の中で何度も反芻される。
 認めたくないけど、やっぱり私は、この男のことが――。
「で、誰にあげるつもりだったんだ? やっぱり、三鷹あたりか?」
 何の屈託も無い、だが少し意地の悪い笑顔を向けられた瞬間、熱が急激に冷めてゆくのを智美は感じた。
 なんてことはない。やはり、翔一は翔一であって、白馬の王子様ではないのだ。
 分かりきっていたことなのに。
 一体、何を期待していたのだろう。
「――秘密よ」
 小さく呟いた。
 結局、この気持ちは伝わらないのね。
 チョコレートを口に含んだ。
 甘さとは程遠いその味は、そのまま自分のバレンタインを表しているような気がした。

 

(Fin.)