ほんのりまろびね

パワプロクンポケットの二次創作(SS)をしていました。

やきもち

(初出:2009年)

 

8本編でもう少し姐さんの活躍が見たかったなあ。

 

 


 穏やかに晴れた3月の昼下がり。
 日が沈んだ後は冷え込む日が続いていたが、昼は風さえなければ薄手のコートでも過ごしやすい。
 交差点の一角にある喫茶店はお喋りに夢中な若者や主婦たちでそこそこの賑わいを見せている。そのオープンテラスの端の席、日除けの白いパラソルの下で、少し季節外れになりつつある厚手のトレンチコートに身を包み、私は瞳を閉じ背もたれに身を預けていた。
 コートは決して密着するタイプではないのだが、はっきりと存在を主張する胸の膨らみを隠しきることはできていない。コーヒーカップが一つだけ置かれたテーブルの正面に誰もいないことも相まってなのか、他の席で一服している男たちがチラチラと落ち着かない様子でこちらに視線を向けているのは、鬱陶しいほど十分に感じていた。往来を忙しなく歩く男たちも同様だ。携帯で電話をしながら、信号を待つ間に腕時計を見るフリをしながら、こちらに一瞥をくれる。本人たちはさり気なくと思っているのかもしれないが、まったくもって逆効果だ。
 店内に入れば見世物になる機会も減るのだろうが、この喫茶店はあいにく全席喫煙可能らしい。こういうところが、本当に気が回らない。待ち合わせ場所を指定してきた男を、私は心の中で糾弾した。
 まったくもって居心地が悪い。
 だがそれももう少しの辛抱だ、と自分に言い聞かせ溜飲を下げる。
 そろそろね――。
 片目を開き、腕時計にちらりと視線を落とす。そして、あと十秒と小声でひとりごちると、周囲の客たちには誰にも分からないほどこっそりと口元を緩めた。
 十秒が過ぎる。目の前の通りを車が走り去って行く音だけが聞こえた。まあ、あの人がそんな几帳面なわけないか――はぁ、と小さな溜息が漏れる。
 三十秒が過ぎる。誰かが近づいてくる足音に片目を開く。待ち人とは似ても似つかぬ、髪をきっちりと七三に整えたフォーマルスーツの男が私の横を通り過ぎ店から出て行く。再び、だが今度はさっきよりも大きな溜息を吐いた。財布にレシートを仕舞うフリをしながらこちらを垣間見ようとする所作が、哀れなほど露骨だった。
 もしかして、声をかけてもらうのを待ってるんじゃないのか?
 自分のことだとは思いたくない、周囲の客の喜色に満ちた声が耳に届いた。
 もし本当に声をかけてきたら、どうしてやろうかしら。どうでもいいことを考えて時間を持て余す。ただ待っている間はそれだけでも心が躍ったというのに、ひとたび時間を意識してしまうと、どうしてこうも待ち遠しく感じてしまうのだろう。
 一分が過ぎる。信号が変わったのか車の走行音が一旦止んだ。
 その閑寂を埋めるように、こちらへ向かってくる急ぎ足の靴音が聞こえた。
 やっと来たわね。
 靴音は目の前で急停止した。よほど急いできたのか、珍しく息が上がっている。フェイクができるような男ではないから、本当に急いできたのだろう。リンはわざとらしく低い声色で、目を閉じたまま話しかけた。
「遅刻よ、八雲君。時間厳守は決まりごと。罰として、今日はあなたの奢りね」
「なっ、たった一分じゃないか! セコいな、リン」
「それはあなたもよ。野球選手なんだから、このくらいでガタガタ言わないで」
 男が言葉に詰まり呻き声を小さく漏らす。その反応に頬を緩めると、私は閉じていた双眸を開いた。
「――あら?」
 その瞬間、私は柄にも無く、ぽかんと口を開いてしまっていた。
 今日そんなに持ち合わせてないんだよなーなどと独り言ちるのは、マスクで顔の半分を隠した八雲陽。花粉症というデータも風邪をひいたという話も聞いていないので、おそらく変装のつもりなのだろう。本人の自覚が薄いのが致命的だが、これでも彼はこの街のちょっとした有名人だ。
 問題はその隣だ。
 瞬時に我に返ると、その彼の横にいた女の子に微笑みかける。軽いウェーブのかかった金髪をリボンでまとめたその姿は、私が知っているその子そのものだ。だが、あの頃よりも顔色が健康的に見えるのは恐らく気のせいではないだろう。
「こんにちは、雪白冬子さん」
「え? あっ、ご、ごきげんよう
 大きな眸子を真ん丸にし、まごつきながらの挨拶が返ってくる。慌てて繕った笑顔には、品の良さと共に戸惑いの色がはっきりと張り付いている。
 当然だ。こうして面と向かい合うのは初めてであり、ましてやこの子は私のことなど知らないはずなのだから。
 八雲君が二つの椅子を引き、その片方に彼女は軽く礼を述べながら座る。レディへの礼儀は、まだどこかぎこちない。もちろん私はそんなことをされた覚えは無い。そういう関係では無いのだから、当然と言えば当然なのだが。
 彼女はまだ落ち着かない様子で、私と八雲と交互に視線を彷徨わせていた。その瞳に、若干の不安と疑心の色合いが浮かばせつつ、口を手で隠し隣の男の耳元に背を伸ばした。音量を絞っているのだろうが、訊きたいことは簡単に予測できる。
「あの、陽さん。この方は」
 そう。この子は八雲君のことを下の名前で呼ぶのね。
 二人の関係を知っている身としては当然予測できたことなのに、こうして実際に耳にすると妙なしこりのようなものを感じてしまう。もちろん、それを表情に出したりはしないが。
 訊ねる冬子の顔は少しご機嫌斜めと言ったところか。彼のことだから、私について何も説明しないまま、もしかしたら誰かと会うということすら話さずにここに連れて来たのかもしれない。そんな女心の微細なグラデーションを、鈍感を二乗したくらい朴念仁な八雲はそんな様子に気付く由も無いのだろう。
「ああ。コイツは情報屋のリン。いつも割と世話になってる」
 八雲君はやっと人心地ついたと言わんばかりに背もたれに身を預けながら、とても慇懃に私を紹介した。
「リンよ。いつも八雲君の世話をしてるわ」
 言った後で、私は私に驚いていた。
 これじゃまるで、意趣返しじゃないか。
「世話、って……まあ、そう言えなくもないのか」
 八雲君は不服そうに眉根を寄せていたが、やはり言葉の棘には気が付いていないようだった。
「あなたのことは彼から聞いてたの。驚かせて悪かったわね」
 もちろん、本当のところは違う。
 八雲君が自分からその手の話を切り出すことは無く、私から訊ねることも無かったが、彼の表情であの一件がどういう決着を見せ、今の二人がどういう関係なのかは簡単に推察することができた。
 決して八雲君には見せないような優雅な笑みと共に、少女へ右手を差し出す。彼女もそれに応えるが、その微笑みはどこか硬い。手を離した後も、口元に指を当て何かを考え込むようにテーブルに視線を落とし、上目遣いに何度か私を見ては、メニューに目を通していた隣の男へとスライドさせる。視線に気が付いた八雲君はメニューから冬子へと顔を向けると、見る? などと呑気に言いながらそれを手渡した。
 わざとやってるんじゃないかと、思わず疑ってしまう。その裏表の無さというか、計算のできないところは、彼の良いところであり、同時に仕事人としてはこの上なくマイナスでもあるのだが。
「陽さんは、もう決まったのかしら?」
「うん。俺は」
エスプレッソをドッピオ。それとBLTサンド――でしょう?」
 八雲君の答えを途中から引き継ぐ。
 そう、それ! と指をパチンと鳴らし頷く彼と、朝飯前と言わんばかりに首を軽く振る私との間で、あの子の目が忙しく行き来する。
 また余計なことをしてしまった。
「仕事の関係で、リンとはよくお茶をするんだよ。俺が頼むメニューは大体決まってるから」
「たまには別の物も注文しなさい。ここは初めて来たけど、コーヒーはいい味してるわ」
「別のものも食べたいとは思うんだけどな。次に来た時にしようと思って、結局また同じものを頼んじゃうんだよな」
「ふふ。変わらないわね」
 良い意味で、バカなのだ。リンは思う。
 誰かの気を引こうとか、自分を良く見せようとか、そういった打算が無い。そのあたりが、長く仕事を続けるパートナーとしては心地よい。情報屋なんて仕事をしていると、大抵の相手は私の裏をかこうとしたり、少しでも優位に立とうと振舞ってくる。もちろん、そんな連中に後れを取る私ではないが、やはり気疲れはする。
 何度も言うようだが、その性格はとてもエージェント向きではない。
 そんなところも、彼に肩入れしてしまう所以なのかもしれない。
 ただ、そんな長年培ってきたコンビネーションも、この少女からしたら不穏な火種のひとつに過ぎないのだろう。
「よくお茶を……そう、なの……」
「ん? まあ、腐れ縁だからね。知り合って何年だったか、パッとは思い出せないよな」
「腐れ縁。そんなに、長く……」
 あの子が俯きがちにぽつりと独り言のように八雲君の言葉を反芻する。
 少し可哀想だったかもしれない。自分で仕掛けておきながら、私は冬子に少しだけ同情した。
 やがて彼女の注文――八雲君と同じだった――が決まり、ウェイターへとそれを伝える。私がコーヒーのおかわりを注文し、伝票は一緒でと付け加えると、彼の口の端が漫画のようにピクリと引きつるのが見えた。
「そういえば、今日はどうして二人で?」
 事前の打ち合わせではそんな話は聞いていなかった。当然彼が一人で来るだろう、と勝手に決め付けていたのだ。
「ああ。冬子さんに、リンをぜひ紹介しておこうと思ってさ。たまにとんでもない情報を渡されるけど、頼りになるヤツだからな」
 頼りになるヤツ。
 カチリと、私の中で何かのスイッチが入る音が聞こえた。
「あら。私がいつ、とんでもない情報なんて渡したかしら?」
「おいおい、忘れたとは言わせないぞ。この前だって、アジトを見つけたとか言うから潜入してみたら、ただのコスプレパーティーだったじゃないか」
「良かったじゃない。楽しい一夜が過ごせたでしょう?」
「バカ言うな。『すご~い、本物みたい!』なんておだてられて、一晩中飲まされたんだぞ。おかげで翌日の試合は4タコの2エラーだ。2軍に落とされなかったのが奇跡的だよ」
 その試合は、実は私も見ていた。
 土気色の顔をしながら打球に飛びつく彼を遠目に見ながら、心の中で詫びを入れたものだ。
 だが、私の『攻撃』はまだ続く。
「2つの顔がどっちも台無しね」
「本当にな。クビになったらどうしてくれるんだ」
「いいわよ。私が雇ってあげるわ……助手としてね」
「助手ぅ? そんなの見たことないけど、何をすればいいんだ」
「そうね……靴磨き、アイロンがけ、ハンドルキーパー。朝食はいらないけど、ディナーはしっかり食べたいわね」
「ただの家政夫じゃないか!」
 このくらいでいいだろう。こめかみを押さえる八雲君を見て、少し溜飲が下がった。
 ――いや、少し違うか。
 見ていたのは、押し黙って二人のコントのようなやり取りを聞いていた、少女の方だ。ベクトルこそ異なるが、この子もまた八雲君と同じくらい分かりやすい。
 冬子は口元こそ微笑みをたたえているが、心なし目蓋に力がこもっている。目を口ほどになんとやら。ささくれの原因は、私が三割、彼が七割といったところか。
 ウェイターが三人分のコーヒーを持ってきた。彼女は八雲君の前にコーヒーが置かれるや否や、少し慌てた様子でテーブル脇のミルクや砂糖の並ぶ一角に手を伸ばした。
「陽さん。お砂糖とミルクは」
「ああ、さと」
「砂糖だけよ。ミルクは使わないわ。半分だけ最初に入れて、少し飲んでからもう半分を入れるのよね?」
 八雲君の代わりに答えた。
 絶句したあの子が、私ではなく、こくこくと頷く彼を睨みつけていた。そして、角砂糖のビンではなく白い粉の入った小瓶を掴むと彼のコーヒーへとパッと振りかける。彼の表情は、一瞬の空白を置いて面白いように一転した。
「とっ、冬子さん! それ砂糖じゃなくて塩! 塩!」
「あら、そうだったかしら? ごめんなさいね、陽さん」
 詫びをいれながらも、もう一振り、二振り、三振り。あああ、と呻き声をあげるのは、この期に及んでようやく彼女の様子がおかしいことに気づいた、哀れな朴念仁。
 冬子は塩のビンを音を立てて置くと、ツンと澄ました表情で明後日の方向を向いてしまった。演技も何もあったものではない。あまりにもあからさま過ぎる彼女の態度に、ただならぬ空気を感じ取った八雲君は助けを求めるかのように私の方を見た。
 俺、何かしたっけ――目でそう語りかけてくる。呆れた。
 まだ気付いていない。多分、あの子はいち早く察知していたというのに。
 さぁ、と両手を軽く広げるジェスチャーを返すと、彼は苦虫を食ったように歯をむき出した。
「えーと。冬子さんも、砂糖、だよね」
「いりません。今日はブラックの気分です」
 にべもなく切り捨て、彼から身ごと背けながらカップを口元へ運ぶ。思ったよりも苦かったのか、眉根に皺が寄っていた。
 その姿を見た途端、私は解ってしまった。
 この子には、勝てないんだと。
 どれだけ二人で会っていても、腐れ縁であっても、所詮私は『頼りになるヤツ』なのだ。八雲君は私をそれ以外の目で見てはいないが、それは彼のせいではない。なんとなく、彼を気にすることがあっても、確かめようとすることもなく、自分の気持ちを表に出すこともなく、ただ曖昧に放流し続けていた私のせいだ。
 なんてことはない。
 『情報屋』と『依頼主』の関係が変容するなどとは夢にも思っていなかったのは、私自身だったのだ。
 それを今になって、こうして現実を目の当たりにして、ようやく気が付くなんて。
 彼はやっと事の顛末が見えてきたのか、自分の仕事にとって情報屋の存在がいかに大切か、決して男女の関係ではない、といったことを言葉を選びながら説いていた。冬子はというと、そうですか、そうでしょうとも、といった適当な合槌を返すばかりで、その端正な顔は一向に華やごうとしない。
 八雲君も大変ね。心の中で、エールを送った。
 とはいえ、今この時は上手くいっていなくても、この二人ならまたすぐに元通りになる。そんな気がした。
 報われないのは、私だけ、か。
 塩入りのコーヒーを顔を引きつらせながら啜る彼の呻き声を聞きながら、自分のコーヒーにミルクを入れかき混ぜる。黒い濁流の中に飲み込まれる白い軌跡が、いつまでも残っているように見えた。