ほんのりまろびね

パワプロクンポケット(パワポケ)の二次創作小説(SS)をぼちぼち書いてます。

寺門、恋に目覚める

(初出:2008年)

 

彼女オールスターぶってるけど、武美と奈津姫以外ほぼ出番ないよね!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「兄貴、俺を男にしてくれ!」

 

 のっけから聞いた人間が後ろの穴を手で隠しながら逃げ出しそうな台詞を吐いたのは、『四十日であなたも生まれ変わる!』のキャッチコピーで有名な少森寺の脱走坊主こと、寺門男である。そのあまりに凄惨な剣幕に、九堂伊太郎は食べていたカシミールのチキンカレーを喉に詰まらせ盛大にむせた。慌てて奈津姫が差し出した水を、ゴクゴクと喉を鳴らしながら一気に飲み干す。
「ふぅ……死ぬかと思ったぞ」
「カレー詰まらせたくらいで大げさだなぁ、兄貴は」
 屈託無く笑う寺門に殺意を覚えかけた伊太郎は、頭の中で存分に蟲に群がられる寺門の姿を想像し溜飲を下げた。
「で、なんだって寺門。何か、とてつもなく気持ち悪いことを言っていた気がするんだが」
「おうよ、俺を男にしてくれ!」
 曇りない真っ直ぐな瞳で訴えてくる男を、その言葉の内容も含め伊太郎は素直に気持ち悪いと思った。露骨に眉をしかめる伊太郎に、寺門はにかっと歯を見せて笑って見せる。
「気持ち悪いからそのデビルスマイルを止めてくれないか」
「兄貴、口が悪くなってないか? っていうか、デビルスマイルってなんだよ」
「気にするな、言葉の綾だ。笑顔が小悪魔的でキュート、って意味だ」
「そうか? ははは、兄貴は口が上手いな」
 ああお前はバカだな、と喉まで出かかった言葉を伊太郎は慌てて飲み込んだ。
 こいつは野球より頭の特訓をした方がいいんじゃないか、と奈津姫がこっそり思っているとは露知らず、寺門は豪快に笑った。伊太郎はこめかみに鈍痛を覚え、呻きながら先を促した。
「それで、もっと具体的に言ってくれないと、何が何だかさっぱり分からないんだが」
「そうだよな、悪い悪い。そうだな、あれはもう一週間前に遡る――」
 居住まいを正し回想モードに入る寺門に、厄介事の匂いしか感じない伊太郎は深く溜息をつきながらすっかり綺麗になったカレーの皿を奈津姫に手渡した。

 

<寺門男の独白、スタート>
 あの日、俺はバイトまでの時間潰しにふらりとコンビニに寄ったんだ。
 三十分間の食品コーナーの物色に飽きた俺は、いよいよ窓際の雑誌コーナーに立ち寄ることにした。
「いや、始めからそっちに行け。ていうか、三十分も食品ばっかり見るな」
 分かってないな兄貴は、その食品を食べるさまを想像するのがいいんだよ! それに誰もいなかったし、やっちゃいけないとは書いてないだろ。
「小学生か、お前は……」
「オッサンがうろついてたら誰も近付かないでやんすよ……」
 お、カンタ君じゃないか。ていうかオッサンじゃねえ、お兄さんだ!
「分かった分かった。寺門お兄さん、頼むから早く先を進めてくれ」
 兄貴、なんか感じ悪いなあ。別にいいけど。
 雑誌はたくさんあったが、漫画雑誌は続き物が多いから分からない、趣味モノや芸能誌は内容を知らないから分からない、経済誌は難しくて読めない。まさに俺は四面楚歌だったというわけだ。
「ちょっとは世間について勉強しろ」
 そこで俺は、コンビニの端っこにあるコーナーに歩を進めたわけだ。
「端っこって――お前、まさか」
「何があるんでやんす?」
「あ、いや、その……男のロマンかな、うん」
「伊太郎さん? 変なことをカンタに教えないで下さいます?」
 こら、俺の話を聞け!
 そのコーナーの前にはよく分からない注意書きがあったんだが、難しい漢字があって読めないから俺は無視することにした。表紙は写真集みたいだったし、意味は分からないがカタカナばっかりで読み易そうだったしな。
「難しい漢字って……『未成年閲覧禁止』の事か」
 そうだったのか? じゃあ成人の俺にはまったく関係がないな。
 俺は雑誌の山から一冊引き抜き、ぺらぺらとページを捲ってみた。予感通り、どうやら写真集だったらしい、女人の写真ばっかりが載っている奇妙な雑誌だった。
「そ、そうだカンタ、宿題は終わったの?」
「終わってるでやんすよ?」
「よし、いい子だから外で遊ぶんだカンタ君。ムシャが待っていたぞ、たしか」
「えー、今はオジサンの話を聞きたいでやんす!」
 オジサンじゃ無いっつってんだろ! これだから子供は。
 で、だ。その雑誌に書いてある言葉の意味は分からなかったのだが、読んでいるうちに俺は奇妙な感覚を覚えたんだ。
「ちょっと待て寺門。それ以上は禁止コードが掛かるから言うんじゃない」
 なんだよ禁止コードって。変な兄貴だな。
 そう、なんて言えばいいんだろうな――トキメキって言えばいいのか? なんかこう、胸にグッと来るものがあったんだよ! キュンとしちゃったわけだよ!
「ええい、キモいからいい年こいた野郎がキュンとか言うな!」
 冷たいな兄貴、理解してくれると思ったのに――まあ、いいさ。
 今まで短くない人生を歩んできて、こんな気持ちを抱いたのははじめてだった。バイト中も、家に帰ってからも胸を支配する動悸、荒ぶる呼吸。俺は何かの病気じゃないかと深刻に悩んだものさ。まあ、病気だったとしても、金がないから病院にも行けないんだけどさ。
 俺はその正体を探るためにコンビニに通い詰めた。一週間、あの奇妙な雑誌を読みふけったんだ。
「お前、今更だけどかなりヒマなのな」
「仕事しろ、でやんす!」
 仕方が無かったんだ、体が本能的にコンビニに行きたがっていたんだよ。
 ちなみに今日も行ってきたところだ。ミナちゃん(設定年齢15歳)の肢体はバッチリと俺の脳裏に焼き付いている。これで今日も――ふふふふふ。
「き、気持ち悪いヤツ」
「カンタ、もっとこっちに来なさい」
 そして満たされた心でバイトに向かう途中、俺はひとつの言葉を思い出したんだ。今の俺の状態を表す、ぴったりの一言を!
分裂病ですかね?」
「いや、単なるロリコンじゃないですか?」
「不審者でやんす!」
 違うわっ! 三人揃ってすごい失礼だな! もういい、兄貴に話そうとした俺がバカだった!
<独白、終了>

 

 大げさに泣き真似をしながらカシミールから出て行こうとする寺門を見送るのは本望だったが、ぶつぶつと呪詛のように恨み言を呟く姿に伊太郎は渋々制止の声を掛けた。
「分かった分かった、俺が悪かった。それで? 今のお前にぴったりの言葉ってなんなんだ?」
 その瞬間、ぱっと弾かれたように笑顔になる寺門から思わず顔を背けてしまったのは罪ではないだろう。
「よくぞ聞いてくれた、兄貴! その言葉とは――」
 どうせ恋煩いとか胸キュンとか言い出すんだろうな、あーあ折角のなっちゃんと俺のランデブーが――そんなことをぼんやりと考えていた伊太郎に、寺門は拳を握り締め叫んだ。
「思春期だ!」
「ずいぶん遅ぇなオイ」
 さすがにその身なりで思春期は無理があるだろ、と呻く伊太郎の横で、カンタはくいくいと母親の服の袖を裾を引いた。
「ねえ母ちゃん、ししゅんきって何?」
「うーん、そうね。人を好きになる時期、ってところかしら」
「じゃあ寺門のおじちゃんは恋をしているってわけでやんすか!」
「まあ、そういうことになるのかしら……」
 この場合はちょっと違うんじゃないだろうか、とばかりに首を傾げる奈津姫。その仕草を、やたらと熱っぽい視線で寺門がまじまじと眺めているのを伊太郎は見逃さなかった。
「おい寺門、まさかお前――」
「素敵だ。神田さん、いや奈津姫さん。ぜひこの俺と、つき――」
「させるか、このエセ坊主めっ!」
 伊太郎は突然の告白を遮ると、グーに固めた拳を容赦無く寺門の顔に突きたて振り抜いた。ついでに、恨みを込めて親指を目に抉りこんだのはお茶目心というやつだ。不意をつかれた寺門は軽々と吹っ飛ぶと、店の隅で目を押さえて転げまわった。
「十ポイント払ってから出直して来いっ」
「な、何の話だ兄貴……」
「お前は知らんでよろしい。ていうか、俺に頼みがあるんじゃなかったのか?」
「ああ、そうだったな。つい奈津姫さんの魅力にクラッと来てしまった」
 伊太郎の視界の隅で、奈津姫が徐々に距離を開けているのが見えた。
「つまりだな、俺はいま猛烈に恋がしたいんだ! この、胸の中のもやもやを取り払うためにも!」
「すればいいじゃないか。一時間四千円の、超格安店を教えてやろう」
「兄貴、そういうのじゃないんだよ……俺がしたいのは、本当の恋なんだ!」
 胸ポケットから電話番号が書かれた紙切れを取り出しひらひらと振る伊太郎に、寺門は拳で机を叩いて力説した。もう片方の手が、番号を必死にメモするために忙しく動いていたのを、伊太郎は憐憫に満ちた眸子で見守っていた。
「本当の恋、ねぇ」
「そうだ! 手を繋いで公園を散歩したり、彼女の作った弁当をあーんってしてもらったり、雨の中一つの傘で帰ったりしてみたいんだよ!」
「妙に学園チックだな」
 鼻息を荒くしながら妄想を語る寺門は、控えめに表現してもヤバい人であった。ちなみに、既にカンタは奈津姫の手によって屋内に退散済みである。
「だが残念な事に、俺には女人の知り合いが極端に少ない。これは致命傷だと思わないか?」
「ああ、そうだな」
 お前の思考がな、とは絶対に口に出さない。伊太郎は半ば投げやり気味である。
「そこで兄貴の出番、というわけだ」
「俺が? どうして」
 眉を顰める伊太郎に、寺門はこめかみに青筋を浮かばせながらずん、と面体を突き出した。
「素敵な出会いばっかしてるくせに! このスケコマシ! 兄貴の変態!」
「寺門てめえ、ギャルゲーの主人公みたいとか言うなぁああああっ!」
 それは貴方の妄想でしょう、と言いたい衝動に駆られた奈津姫だが、関わり合いになりたくないので無関心を決め込んだ。
 それにしても今日は客足が悪い。理由は察しがつく、この二人がひっきりなしに叫び合っているからだ。早く帰ってくれないかしら、と奈津姫は一人溜息を吐いた。
「とにかく、兄貴は女人の知り合いが多いはずだ! 紹介しろ、むしろして下さい!」
 突然椅子から飛び降り、地面に頭を擦りつけ懇願する寺門。奈津姫さんの前で何を言うんだキサマ、と殴りかかろうとする拳を必死に押さえつけ、伊太郎は困ったようにぽりぽりと頭を掻いた。
「まあ確かに多いかもしれないが……紹介、なんて突然言われてもなあ」
「――それなら、私がなんとかしましょうか?」
 そんなぁ、と泣き崩れそうになる寺門に救いの手を差し伸べたのは、意外にも無関心を決め込んだ筈の奈津姫だった。え、と伊太郎の顔色がさーっと青ざめてゆく。
「あ、ありがたい神田さんいや奈津姫さん。では、早速近いの接吻を――」
「お前になっちゃんはやらん、このフリーター野郎っ!!」
 唇を突き出し目を瞑る寺門の顎を、伊太郎の鉄拳が慈悲無く打ち抜く。浮いたボディに我慢の限界を迎えた奈津姫がフライパンで一撃をかまし、寺門はカシミールの壁に顔から突っ込んだ。
「奈津姫さん、あなたもやりますね! はっはっは――」
「……次になっちゃんって言ったら、貴方も同じ目に遭わせますよ」
「ひっ」
 どうやら伊太郎の奈津姫攻略は上手くいっていないようであった。
「ところで、なんとか、というのは?」
 鼻血をだらだら流しながら、寺門がふらふらと二人の間に割ってはいる。意外と不死身らしい。
 奈津姫は露骨に寺門と距離を取りながら、引き攣った笑顔で人差し指を立てた。
「武美ですよ、広川武美。漢方薬屋の」
「ああ、武美ですか。なるほど、確かに『ロマン!』とか言って喰い付きそうではありますね」
「でしょう? 分かっていただけました?」
「ええ、さすがは奈津姫さんだ。ビシッと解決してくれる。頼れる女、って感じですよね! いいなあ、俺、そういう女性に弱いんですよ~」
 煽てながらからからと笑う伊太郎。ちらりと奈津姫の反応を伺うと、相好を崩さぬまま親指で出入り口を指差すなかなかの面白ポーズが見て取れた。
「話が済んだら、とっとと出て行っていただけます?」
 その、普段ならちょっとキツイかなーぐらいの台詞に、言い知れぬ威圧感を感じ伊太郎の背筋がぞくりと震える。
 これはマズイ、MK5だ。フラグを失うのはゴメンだ!
 戦略的撤退を余儀なくされた伊太郎が、後ろで呆けている寺門を引き連れてとっととカシミールを後にしようと踵を返したとき。
 ぼそりと、すれ違いざまに寺門が何かを呟くのを、伊太郎は聞き逃さなかった。
「萌えだ……」
「は? お前、何を」
 伊太郎の質問を無視するとぐっと拳を握りこみ、一歩前に踏み出る寺門。
「さっきの、まるで『ナイスアイデア!』と言わんばかりのポーズ! これが萌えか、そうなのかっ!」
 ああ、終わった、俺のサクセスライフ――さよなら10ポイント。
 がくりと膝を落とした伊太郎と素敵な世界に旅立っている寺門がゴミのようにカシミールから追い出されるのは、その直後のことであった。

 

 

 まったく、どうしてこんなことになったのか――。
 商店街の大通り、伊太郎はきりきりと疼くこめかみを押さえながら、盛大に深い溜息をついた。
「兄貴、どうよこのファッション? チョーイケテルと思わない?」
 くるりとパリコレよろしく目の前で回る寺門。服屋の店員に選ばせたので服装自体はまあ普通であるが、いかんせん動作がキモかった。
「分かったから普通に歩け。鬱陶しいぞ」
「お、もしかして嫉妬してる? 兄貴、いつもそのムサイ格好だしな」
 少しばかりハイになっている寺門が優越交じりの視線を向ける。伊太郎はやれやれと言わんばかりに首を横に振った。
「お前だって、クサレ万年ポロじゃねえか……」
 いつも寺門が着崩しているよれよれな緑色のポロシャツの事を指摘する。寺門は片目を瞑ると、人差し指を揺らしチッチッと舌を鳴らした。
「勘違いしているようだが、あれは何着も同じのを着まわしてるんだぞ」
「ああ、そのポーズはすごくウザいな」
「ああってなんだよ! 俺のセリフまったく関係ないよな!」
「そんな事より、お前は彼女が出来たらまず何をする気なんだ」
 寺門の叫びを完全に無視しつつ、伊太郎が問いかける。意中の相手との時間を邪魔された所為か、控えめに言っても今の彼はご機嫌斜めであった。当然そんなことを気にする様子も無く、寺門は間髪入れずに即答した。
「決まってるだろ兄貴。俺の熱くいきり立つイチモツを」
 心なし、頭痛が酷くなった気がする――伊太郎は額に手をあて呻いた。
「オーケー、何も忠告しない俺が悪かった。寺門、そういうのは仲が進展してからするものなんだ。いきなりそんなことを許してくれる女はいない」
「――あれ? そこにいるのはイタローさん?」
 背後の声に振り向く。会いに行こうと思っていた武美が、スーパーの袋を提げ嬉しそうに手を振っていた。
「おぅ、丁度良かった、紹介したいヤツがいるんだ。寺門、コイツが広川武美。見た目は普通だが、実は今をときめくモバイルガ――うぇっ」
「ひ、広川武美だよっ! よろしくね~」
 いきなり正体をバラしそうだった伊太郎の首を後ろから慌てて締めながら、武美がペコリとお辞儀をする。何のことかさっぱり分からない寺門も、目を点にしつつ礼を返した。
「お、おう。ところで、兄貴は何を――」
「ゲホッ、ゲホッ。だからな、コイツはガイノ――ぐえぇっ」
 懲りない伊太郎の首がさらに絞まる。何とか指を解くと、伊太郎は真っ赤になった顔で武美に振り向いた。
「何をする、武美。クールなナイスガイにあるまじきカエルが死んだときのような声を出しちまったじゃないか」
「わざとやってるよね、イタローさん」
「そうでもないと面白くないからな」
 とんでもない主人公である。
 くいくいと背を引かれる。見ると、寺門が早く話を進めてくれと目をギラギラと輝かせていた。視線の先は頬をぷーっと膨らませる武美、どうやらストライクど真ん中のようだった。
「あー、えっとな、武美。今日は、この寺門のことで用があって来たんだ」
「ああ、欲しいチケットがあるの? それとも漢方?」
 いや欲しいのはお前自身なんだ、とは言えるはずも無く、伊太郎は思考を巡らし寺門の意思をなるべく遠まわしに伝えられる言葉を探す。
「いや、どっちでもない。その――アレだ。友達になってください、ってヤツだ」
「友達? 事情が飲み込めないけど、そのくらいなら別にオッケーだよ」
「本当か、広川――いや、たけみん」
 伊太郎を押し退け、寺門はずいと一歩前に出ると、ぽかんと口を丸くする武美の両肩に手を置いた。
「た、たけみん?」
「お、おい、寺門」
「優しくするからな……」
「お前は何も聞いてなかったのか、この脳味噌スッカラカン!」
 大真面目な顔で神妙に呟く寺門の首根っこを鷲掴みにすると、伊太郎はそのまま力強く後ろに引き倒した。鈍い音と共に寺門の巨体が仰向けになる。後頭部から赤い何かが流れていたが、気にせず伊太郎は胸倉を掴み強引に起こした。
「言っただろ、そういうのはもっと仲が進展してからするんだよっ」
 というより、どんなに親密になっても真昼間から往来のど真ん中で誘う男はいない。
「だ、だが兄貴……俺はもうオーケーサインを貰ったぞ」
「友達として、だろ」
「ああ、だから俺はセフレとして」
「死ね」
 がら空きの腹に蹴りを叩き込み黙らせる。そのまま担ぐように寺門を持ち上げると、伊太郎は全速力で唖然とする武美の前から逃げ出した。

 

 

 場所は変わって、アンティーク喫茶。伊太郎は苛立たしげにコーヒーカップを置くと、眉根に皺を寄せた。
「いいか、ヤリたいだけなら風俗にでも行ってろ。でも、お前がしたいのは本当の恋なんだろ?」
「ああ、済まないな兄貴。女人を前にすると、どうも理性がぶっ飛んじまってさ」
 それはもうさっさと諦めるべきじゃないかと伊太郎は思ったが、ここで見捨てるとそこらの通行人を襲いかねないのでもう少し付き合う他無かった。
「――でだ、兄貴。ここではどんな出会いが待ってるんだよ」
 キョロキョロと気忙しげに辺りを見回しながら、興奮した様子で寺門が訊ねる。コイツに学習能力は無いのか――伊太郎は頭を抱えて呻く。当然いつまでもそうしてはいられないので、すぐに顔を上げるといつもの席で本を読む維織を見た。
「とはいえ、維織さんに寺門のような珍獣を関わらせたくないし……」
 視線を店内を忙しそうに動き回る准に移す。
「アイツなら冗談が通じるから、どんな事が起きても大丈夫そうだな。というわけで寺門、あそこのメイドにしておけ。ちなみに、妙な事を言うとあのダブルドリルで串刺しにされるから気をつけろ。あれは脱着可能だ」
「なんだかよく分かんねえけど、分かったぜ兄貴! でも、俺としてはあそこの麗人も捨てがたいんだが――二人ともってのはダメなのか」
「はぁ、お前な――」
「はっはっは、笑止千万だね」
 そもそもお前は選べる立場じゃないんだよ、と説明しようとしたところで、隣の席から妙に癪に障る声が割って入った。伊太郎がさらなる頭痛を感じつつ横を見ると、凄まじいスピードでノートパソコンのキーボードを叩く電視がいた。手で目元を覆いながら、伊太郎は疲れ切った声で訊ねる。
「一応聞くが、何をしてるんだ」
「決まってるだろう? 喫茶店でやることと言えば、彼女のデータを打ち込むだけだ。他に何をしに来るって言うんだ?」
 それはお前だけだ、という台詞は口にするのも億劫なので伊太郎は黙って辟易した。
「んなことより、そこの根暗。この寺門様に対して笑止千万たぁどういう事だ」
 寺門が腕まくりをしながら身を乗り出す。お前には笑う要素しかねぇよ、と伊太郎は心の中でツッコミを入れた。もちろんこの場合の笑いは冷笑ないし嘲笑である。
「なってないんだよ、君は。恋愛のなんたるかをまるで理解してない」
「ぐ、う……確かに、俺はそれに関しては全くの無知だ」
 ――お前は何に関しても無知だけどな。
「ならば俺が特別に教えてあげよう。恋愛の基本は一人だけ。個別のルートに入ってしまったら、他の子とは会うことさえ稀になってしまうのが恋愛なんだ」
「そ、そうなのかっ。つまり、二人以上狙うなど――」
「論外だね。君を待ち受けているのはバッドエンドだけさ」
「うおおおお、俺が間違っていたっ!」
 ガンガンと机に頭をぶつけ叫ぶ寺門。周囲の、とりわけ准の視線を痛いほど感じていた伊太郎はひたすらコーヒーを啜って現実逃避していた。
 無駄な自傷行為をいつの間にか終えた寺門は額からダラダラと血を流しながら、胸の前で拳を合わせると電視に頭を下げた。
「根暗、まさかお前に助けられるとは思ってなかったぜ……素直に感謝する。ついでに恋愛に詳しいお前に聞きたいんだが、女人に想いを打ち明けるときに好印象を与える方法は無いか?」
「そんなのは簡単だね。自分の長所をアピールする選択肢を選べばいいのさ」
 帰りの身支度を整え終わった電視が、立ち上がりながら答える。どうやら今日のプログラミングは終了したようだった。
「自分の長所、か……よし、俺はやるぞ兄貴!」
「そのやる気はともかくとして、お前の長所って何を見せる気だよ」
 電視が帰ったことにより、一つ気苦労の種が減った伊太郎が復活する。訝しげな視線に、寺門は誇らしげに鼻を鳴らした。
「まあ、それはお楽しみだ。じゃあ兄貴、行ってくるぜっ」
「あ、おいっ」
 質問の答えを適当にはぐらかし、寺門が准のいるカウンターに近付いてゆく。
「あの、夏目准さん! ちょっと、お話があるんだけどよぉ」
「どうなさいました、ご主人様?」
 多少言葉遣いがおかしいが、ここまではギリギリ許容範囲内だろう。問題はこの後だ。
 どうせなら面白い事言って玉砕してくれ――伊太郎は半ば自棄気味だった。
 寺門は決心したようにぐっと表情を引き締めると、両手で服の中央を掴み、まるでポテトチップスの袋を開けるかのように盛大に自らのシャツを引き裂いた。処理されていない胸毛とごつく隆起した胸板が、准の目の前に晒される。
 誰もが言葉を失った店内で、寺門は上半身を露出させたまま准の前で跪いた。
「頼む、俺と付き合ってくれ!」
「……」
 無言のままの准。やがて思い出したかのようにカウンターの電話を取ると、何の迷いも無くいちいちぜろをプッシュした。
 伊太郎は席からよろよろと立ち上がると、寺門の肩にぽんと手を置いた。
「なんつぅか……お前、何を見せたかっんだ。あとちょっと汗ばんでて感触がキモいな」
「いや、俺はパワフルさを強調したパフォーマンスのつもりだったんだが――」
「あ、イタローさん。今並木さんに不審者が二人いる、って連絡したから、捕まりたくなかったらソレ連れてさっさとどっか行ってくれる?」
 電話を終えた准が引き攣った笑顔で言う。
「二人――って、俺もなのかっ」
「――警察だ! 不審者二人、動くんじゃない!」
 遠前町の警察は職務熱心だな――伊太郎の目から一筋の涙が零れた。

 

 

 数時間の説教の後開放された二人は、懲りずに次なる目的地であるレストラン『ブランネージュ』に到着していた。
 もちろん、正確に言えば懲りていないのは一人だけである。
「さぁ兄貴、ここではどんな出会いが待ってるんだ?」
「……お前、諦めるって言葉知らないのな」
 疲れたように深い吐息を漏らしながら、伊太郎はレストランの裏口へと移動する。しばらくそこで待機していると、とても不審そうな表情の夏菜が出てきた。
「伊太郎さん、仲間は連れてくるなってあれほど言ったのに……」
「い、いや、コイツはそういうのじゃなくてだな」
 寺門を振り返る。上半身は裸体を曝け出したままだった。
「いいっていいって。着るものが無いくらいビンボーなんだろ? なんか分けてやるから、ちょっと待ってろよ」
 必死に弁解しようと試みるも、夏菜聞く耳も持たずに店内に戻ってゆく。数分後、まかないの残りと思われるロールキャベツを二人に差し出すと、逃げるように店内に戻り裏口に鍵をかけた。
「今回はアタックする前に失敗か。お前、凄いな」
「何故だ……何故俺のフェロモンを感じ取ってくれないんだ」
微塵も出てないからな、フェロモン」
「おや、そこにいるのは九堂君と寺門君ですな?」
 恰幅のある温和の声の持ち主が近付いてくる。言わずと知れたシェフの城田である。
「ふむふむ、今日はこんなところでどうしたのですかな?」
「えぇと、簡潔にまとめると寺門が可愛い女の子を捜しているところです」
 途中の込み入った説明を全て省き伊太郎が説明する。城田は『可愛い女の子』というフレーズを聴いた瞬間、ぴくりとその眉間に皺を寄せた。
「可愛い女の子……それならば、冬子お嬢様がおりますぞ」
「ああ、前に話してくれた」
 ぶっきらぼうに伊太郎が返す。城田にこの話題を持っていったとき、ろくな事になった記憶は無かった。あまりこの話に突っ込みたくは無い――だが、時既に遅し。
「とても可愛いですぞ。今日は小さい頃の写真を持っていますが、見たいですかな」
「いえ、とても結構です」
 気まずい空白が開く。伊太郎は今にも逃げ出したい気分だった。
「――写真、見たいですかな」
「……はい」
 有無を言わせぬ強制力を感じ、伊太郎は渋々承諾した。満面の笑みで城田が懐から取り出した写真を見ると、軽くウェーブのかかった鮮やかな金髪が印象的な幼女が写っていた。確かに、城田が常々自慢するだけのことはある――そう思いつつ、伊太郎は横を見た。
「これは……キたぜ」
 舌なめずりをする寺門、伊太郎は頭の中一杯に広がる嫌な予感を冷や汗で表しながら、恐る恐る話しかけた。
「あんまり聞きたくないんだが、何がキたんだ」
「分からねぇ――だが、この写真を一目見た瞬間に脳髄を殴られたような感覚が走ったぜ。兄貴、これが恋ってヤツなんだよな、な!」
「いや、どちらかと言えばただのロリコンのような……」
「ああ、もうなんでもいいぜ! 俺は今すぐ下半身の荒ぶるパトスでこの少女をメチャクチャにしたい!」
「ば、バカッ! そんな事言うと――」
 慌てて寺門の口を塞ぐも、全ては後の祭りだった。
「――ほほぅ。今のは聞き捨てならない台詞ですな」
 身も凍るような城田の声――逃げろ――伊太郎は全力で駆け出そうとした。だが、足に何かが絡まりその場から動くことすら出来ない。
「ぴ、ピアノ線?」
「逃がしませんぞ。お嬢様に悪行を働こうとする者には死あるのみ、です」
 どこからか突然現れた牧村が囁く。伊太郎の視界の隅で、城田が肉切り包丁を研いでいるのが見えた。
 ああ、なんで俺までこんなことに――
 声にならない悲鳴が胸中で木霊する。そのまま伊太郎の意識は途切れた。

 

 

 


 数日後、ちょっぴり痩せた伊太郎は川に流されているのを町の人により発見され一命を取り留めた。
 寺門はどういうわけかさっぱりした顔で町を歩いているのを目撃されている。風の噂では、何故か一足早くバッドエンドを迎えた温水ちよの手により大人になったとかならなかったとか伝えられているが、真相は闇の中である。というか二人とも割と不死身だ。

 

 

 


「あれ? なんかあたし、出番忘れられてるような――」
「どうしたんだ貴子、遅刻するぞ!」
「あっ、うん。じゃあ行ってくるね、お父さん!」