パワプロクンポケットΦ 7話『Tornado Effect』(パワポケ7異聞)
第2章『The Hero with No Name』開始です。
トルネード投法の選手ばっかり作るのは誰もが一度は通る道…ですよね!?
前の話はコチラ。
「私が……ファイズと?」
ブルーの言葉を反芻するブラックの声には、はっきりと困惑の色が浮かんでいた。
「そうだ。シアンとお前の二人でやってこい」
「……でも、私は……」
戦いたくない。
そう呟くよりも早く、ブルーの拳がテーブルの天板を強く叩いた。
「偵察が任務だから戦いたくないって? この三カ月近くで仲間がどれだけやられてきたのか分かってるよなあ? インデゴ、ピーチ、セピア、アンバー、ビリジア、マゼンタ、セルリア。グレーもきっともう死んでるさ。なあ、おい。8人も仲間を失ってるんだぜ? それなのにアイツは仲間を増やしたって言うじゃねえか! しかもヒーローよろしく変身するんだって? ふざけんな! そんな状況で偵察も隠密もあるわけねえだろ!」
大きな衝撃音と共にテーブルが真っ二つに割れる。肩口を押さえうずくまるブルーにピンクが駆け寄った。
「ちょっと、無理し過ぎよ! まだ完全に回復してないのに」
寄り添うピンクの腕を強引に振り払ったブルーの四肢と胴体の繋ぎ目はビードロのように薄く透き通っている。
ひと月ほど前の五月の終わり。オルフェノクと交戦し手足を切断され、達磨のような凄惨な状態のブルーを発見したのはブラックだった。
ブルーの戦闘力はヒーローの中でも一二を争う。そのブルーをここまで蹂躙する個体が存在するということを考えるたび、ブラックは冷水を流し込まれたように身体中が冷え冷えするのを感じた。
レオパルトオルフェノク=古河レオが超金属の戦士に変身した一夜から三カ月あまり。ファイズという自分たちとは異なるヒーローの顕現を報告した日から、ブルーは目に見えて焦燥していた。すぐにオルフェノクと共に送り込まれた二人のヒーロー、セピアとアンバーは新たに登場したデルタにより退けられ、その頃からブルーは例のマシーンの調整をグリーンに任せ単独行動をするようになっていた。
そんな副官の機嫌が好転したのは四月末だっただろうか。深夜にアジトに帰還したブルーは一体のオルフェノクを引き連れていた。未だに不安定なオルフェノク製造マシーンをセルリアと共にどこかへと持ち出し、鼻歌交じりに一人で戻ってきた。
そして五月の終わり、無残な姿に変わり果てたブルーは、冷静沈着を売りとしていたことが嘘であるかのように以前にも増して焦りを隠さないようになる。古河レオの抹殺にビリジア、マゼンタを相次いで送ったもののこれも撃破され、24人いた仲間はあっという間に16人にまでその数を減らした。
その経緯を考えれば、遅かれ早かれ偵察部隊の自分にも赤紙が届くのは分かりきっていたことなのかもしれない。
「で、でもさ。もう古河を無理に狙わなくてもいいんじゃないの? 野球部でも普通にしてるだけだし、オルフェノクだって言っても危険はないと思うけど」
ブルーのバイザーが桃色の仮面を射抜く。気圧されたピンクの喉から小さく悲鳴が漏れた。
「オルフェノクは駆逐されるために存在する種だ。ましてや、オルフェノクの分際でヒーローだと? 俺たち以外のヒーローが存在していいわけが無いだろ!」
人々を襲う怪物はヒーローに倒される。悪と正義。ブルーが望んでいるのはそんなはっきりとした二色の原色画だった。ヒーローという容をもって生まれ落ちたが故の葛藤。ブラックは少しだけ、青い仮面のヒーローのことがわかったような気がした。
「いいか。確実に古河とデルタを抹殺しろ。奴らを排除して、在るべきシナリオに戻すんだ」
「……あのオルフェノクは、どうする?」
ブルーを圧倒した怪物。速さに秀でるブラックが救出の刹那のタイミングで見たその面容は、百獣の王そのものだった。
「アイツは俺が殺る。見かけたら報告しろ」
背筋が震えあがるような苛烈な怒りを込め、ブルーは呟いた。
Φ
弓なりに薄く反った身体が硬直する。
レオは時が止まったようなこの瞬間がたまらなく好きだ。
右脚一本に溜めた力を解き放つ。
振り抜いた右腕から白球が走る。
糸を引くようなストレートがキャッチャーミットに吸い込まれるのと同時に、銃声のような破裂音が響き渡った。
「うーん、ボールかな」
「嘘つけ。今のは入ってるだろ」
「いや、どうかな……やっぱりちょっと高いよ。釣り球としては最高だけどね」
首を捻る森盛から投げ返されるボールをキャッチした後も、レオはぶつぶつと文句を言い続けている。球の走りは自分でも惚れ惚れするほどの一球だったのだ。
全体練習には参加せずひたすら別メニューでの調整を続けて三カ月。制球は一時のストライクゾーンに全く入らない状態は脱したものの、依然としてストライクとボールでは後者の方が多い。いくら直球が走っていても、ゾーンに入ってくれなければ意味が無いことはよく分かっている。焦る気持ちもあったが、少しずつ身体と感覚が馴染んでいるのだと自分に言い聞かせていた。
グラウンドの中央ではフリーバッティングが行われている。横並びの二つのゲージの一方から、ひと際大きな快音が飛んだ。打球はライトの頭を軽々と越えていく。
その放物線に思わず見入っていると、いつの間にか隣に立っていた森盛も感嘆の溜息を漏らした。
「すごいねえ、黒打君。身体は細いのにパワーあるよね」
四月から野球部に加わった転校生。黒打ブラックという妙な名前とは裏腹に中々の実力者であり、不動のレギュラーであるレッドと怪我から復帰した東と並んで外野のレギュラーになるのではないかと噂されている。もっともこれにはひと月前に負傷したブルーの離脱も大きく影響しており、新しく加入したパープルとの定位置争いに勝ち抜くことができればという条件付きではあるものの、身体能力任せのヒーローと異なり状況判断に優れる黒打が一歩リードしているというのがレオの見立てだ。会話をしたことは一度も無いが、プレーを見ていれば一挙手一投足が野球への知識と経験に裏打ちされたものだと分かる。
「黒打君がレギュラーになってくれたら嬉しいよねえ。古河君もそう思わない?」
「バーカ。自分が出れなきゃ意味ねえだろ」
「アハハ……古河君は厳しいなあ」
項垂れる森盛の声を掻き消し黒打の一打が再び火を噴く。痛烈なライナーがあっという間にセンターへと抜けていった。
一方その隣のゲージからはキン、とかボス、といった鈍い音ばかりが鳴らされている。背後で見守る佐和田の顔にも不満の色がありありと浮かんでいるのが、グラウンドの隅からもよくわかる。ゲージの主は一球ごとに威勢良く気合の吼え声を叫んでいるが、それが余計に監督の癇に障るであろうことは想像に容易い。
オルフェノクとして覚醒した七瀬は黒野の指摘通り影響が少ないのか、プレーに関しては依然と大して変わりないように見えた。四月の頭こそ送球のコントロールが多少乱れることがあり、鳴かず飛ばずの打撃も当たれば大きな一打となることがあったが、いずれにしてもレオほどの変化では無く、この三カ月ですっかり元の姿を取り戻している。このまま何事も無ければベンチには入れるだろう。
ギアを上げなければスタンドから応援することになるのは、むしろレオの方だ。
球威と速度任せの直球はともかく変化球が使い物にならない。覚醒前に使っていたスライダーもカーブもキレは増しているが、投げようとすると露骨にフォームがギクシャクとしてしまう。これでは自分から変化球を投げますよと言っているようなものだ。
二年生の夏。いつ狩られるか分からない立場上、まだ一年あるなんて悠長なことは言っていられない。
「おい。森盛。続けるぞ」
右腕をぐるりと回し女房役に声を掛けた。
人の心配をしている暇なんて無いのだ。
「……今、何て言った?」
「あぁ? いつまで休んでんだって言ってんだ――」
異変に気が付いたのはその時だった。
小柄で温和な森盛がいない。
代わりに目の前にいるのは、ツーブロックに刈り上げた髪を逆立て、悪鬼の如き憤怒の形相でこちらを睨む男だった。
「お前! 俺の名前を! 何て言った!」
キャッチャーミットを投げ捨て、指の骨をゴキゴキと豪快に鳴らしながら男が近寄って来る。
誰だ、コイツ。
プロテクターやレガースを付けていることから森盛だということは推察できるのだが、それにしても雰囲気が違い過ぎる。不満を漏らしつつも台場や有田にパシりに使われる気弱な少年の面影はどこにも無く、どこかの族のトップを張っているかのような威圧感だけがヒリヒリと肌に伝わってくる。
「なんだテメェ、オルフェノクか?」
咄嗟に後ろに飛び退き両手を身構えながら、レオはファイズフォンのある部室をチラリと見た。
男はピクリと頬を痙攣させると、突如として地を蹴った。
「オルフェノク? 違う! 俺様の名前は――」
大きく後ろに開かれた右腕。レオは大きく瞳を開いた。
「森盛様だあッ!!」
手加減無く放たれた右ストレートが乾いた音を鳴らす。
「――ム?」
顔を上げた森盛の眉が吊り上がる。
レオはパンチを受け止めた左手のグローブを取り数回手首を振ると、間髪入れずに屈みこみ鋭く右足で弧を描いた。
隙を突いた足払い。完全に決まったと思ったそれを、森盛はさらりと飛び跳ね躱した。
「ほう。俺様のストレートを受け止め、しかも反撃までしてくるか」
「森盛、ヤバいクスリでもキめてんのか?」
「森盛様だ! だがその豪胆さ、気に入ったぞ小童!」
明らかに自分より大きいレオを小童呼ばわりした森盛はキャッチャーミットを拾い上げ、定位置へと座り込みバシリと派手な音を立ててミットを叩いた。
「さあ! お前の本気を投げ込んで来い!」
「人の話聞けよ! なんなんだよいきなり!」
「この俺様が付き合ってやると言ってるんだ。さっさと投げて来い!」
全っ然聞く気ねえし。
レオは未だに痺れの残る左手を再度振り、呆れたように首の後ろを掻いた。
とはいえ、ここまで一方的に話を進められて黙っていられるほど少年は利口ではないし、気も長くない。
だったら目にもの見せてやるよ。
プレートの上に左脚を乗せ、身体を空っぽにするかのように息を吐く。
オルフェノクになってから全力で投げたことは一度も無い。ただでさえイメージ通りに制球できないのだから、必要以上に力んでしまえばボールがどこに飛ぶのか分かったものではないからだ。
それに、心のどこかで自制心が働いていた。硬式野球は石を投げ合うようなものだとは軟式上がりの球児が良く言う例えだが、自分が本気で投げたら石が可愛く見えるほどの凶器になるのではないか。そんな思いが胸に引っかかっていたからこそ、八割、いや六割、もしかしたらもっと低い程度でセーブしていたのかもしれない。
そこまで言うのなら、受けてもらおう。
「怪我しても文句言うなよ」
「笑止千万。この森盛様を傷つけられるものならやってみろ!」
「……言ったな」
言葉と同時に大きく両腕を振り上げる。
軸足に力を溜め込む。強化された体幹はまるで足の裏から根が生えているかのようだ。
――もっとだ。まだいける。
捻った上体はもはや完全に森盛に背を向けている。
強靭な下半身と平衡感覚。森盛の脳裏を、海を渡り三振の山を築いた大投手の姿が過ぎった。
極まった潮合。
限界まで引き延ばされた上体の筋肉が一瞬で収縮する。
大きく踏み出した左脚が土を噛む。
鞭のようにしなる右腕が遠心力を伴い空を切る。
描いた弧の頂で、レオは白球を押し出した。
砲弾の如き一球が瞬きの間に森盛に迫る。
そして、着弾。
今まで耳にしたことも無いような快音を響かせた白球が、森盛のキャッチャーミットからポロリと零れ落ちた。
ストライクゾーンの中央を射抜く渾身のブル・ショット。
「どうだ、見やがったか」
脇腹の鈍い痛みと引き換えの一球ではあったが、レオは胸がすく思いで鼻を鳴らした。
継続してきたランニングにより鍛え上げられた体幹がオルフェノクとなったことでさらに強化され、本来は軸がぶれやすいトルネード投法がピストルのライフリングのように獲物を狙う螺旋構造を成した。とはいえこの一投がストライクゾーンを突いたのが偶然以外の何物でもないことは、十球百球と投げずとも本人が一番よく分かっている。
それでも、先の見通せない濃い霧の立ち込める道に光明が差したような気がした。
付け焼刃でも何でも構わない。マウンドを奪取するにはこのピッチングを自分のものにしなければならないのだ。
「おい、森盛。さっさと投げ返して――」
「ふふ……ふははははは!」
取りこぼしたボールに視線を落としていた森盛が突然キャラ違いも甚だしい高笑いを始め、レオは思わずびくりと身体を震わせた。あまりの声量にフリーバッティングの球拾い組もチラチラとこちらを窺っている。
今度は何だ。レオはほとほと呆れ果てがくりと項垂れた。
「なんたる直球。素晴らしい。素晴らしいぞ小童! いや、古河レオ!」
「分かったから、さっさとボールを返せ」
「漢の本気には本気で応えなければならん。俺様は腹を決めたぞ、古河レオ!」
「いいからボール返せ。あといちいちフルネームで呼ぶな」
「俺様がお前を真のピッチャーに鍛え上げてやる。百球、いや千球、いや一万球でも投げ込んで来い!」
鯨波と共に投げ返された白球をグローブで受け止める。おおよそ返球というよりも果たし状と言った方が近い感触に、レオはニヤリと口の端を持ち上げた。
「面白え。そっちがその気なら、オレも遠慮なくやらせてもらうぜ」
威勢のいい吼え声に、森盛はミットを力強く叩いた。
「来い、古河レオ! その腕が千切れ飛ぶまで付き合ってやろう!」
「テメェの左手、パンパンに腫らしてミットから抜けなくしてやるぜ」
もはや突如豹変した気弱な少年のことなど頭の片隅にも残っていない。
球音響き渡るグラウンドの一角で、意地と意地のタイマン勝負の火蓋が切って落とされた。
Φ
「それでアンタは、そんな肩になったと」
「そうそう。号令がかかっても集まらないから様子見に行ったら、二人とも肩で息しながら睨み合ってたからビックリしたよ」
「キリちゃんも『ケガ空けなのにやり過ぎだ』って怒ってたでやんす!」
すっかり日の暮れた商店街に笑い声が木霊する。マネージャーの手によってアイシング処理が施され右肩だけアメフト選手のように厳つく隆起したレオは、極まりが悪そうに薄暗い街灯を眺めている。
玲奈にたっぷり小言を食らった後、レオと七瀬と湯田はスーパーまる生の前でバイト上がりの梨子と遭遇した。不貞腐れた顔で肩を怒らせ歩くレオを見るなり大笑いした少女は、どうやら次のバイト先をスーパーに決めたようだ。もっとも時給はワルクロ団と比べ物にならないので、あくまで繋ぎとしてとのことらしい。
「あんまり森盛君を困らせるなよ。レオと違って普通の男子なんだしさ」
「古河君は普通じゃないんでやんすか?」
何気ない呟きを湯田が拾い上げる。しまった、という表情で助けを求める七瀬からレオと梨子は顔を逸らした。
「いや、ほら、アレだよ。レオは大怪我から復帰するくらい頑丈だし」
「まあ、それもそうでやんすね。あれ? そもそも七瀬君、古河君のこと『レオ』なんて馴れ馴れしく呼んでたでやんすか?」
「え! そ、それは……」
さらなる追及。請願の視線から逃げるように、レオと梨子はこれ以上回らないというギリギリの角度まで首を曲げた。
「い、一緒に甲子園を目指す仲間なんだから、当たり前だろ! なあ、湯田――いや、浩一!」
グッと拳を握る七瀬。四人の間を風が吹いた、ような気がした。
「いや……オイラは今まで通りでいいでやんす」
「そ、そう? 新鮮な感じで悪くないと思うけど」
「なーんか、怪しいでやんすねえ」
「んなことより、森盛のことだ。アイツ、どんな性格してやがるんだ」
七瀬一人では悪化の一路を辿るばかりと踏んだのか、アイシング男が唐突に女房役の話を切り出した。
番長の如く威風堂々と啖呵を切っていた森盛は、集合を伝えに七瀬がやって来るや否や、以前のひ弱さすら感じさせるただの少年に戻った。レオがそれまでのことを問い質そうとしても、よく覚えてないや、の一点張りで掛け合ってすらもらえなかった。
「森盛君? どんな性格って、レオもよく知ってるだろ?」
「優しいでやんすよねぇ。パシられても全然文句言わないでやんすし」
「それはオレも知ってる。そっちじゃなくて、もう一つの方だ」
オルフェノクたちにも引けを取らない殺気を発していた鋭い眼光を思い出しながら、レオは籠った疲れを絞り出すように全身で息を吐いた。
「もう一つ……って?」
「どういうことでやんす?」
「知らねえのか。ありゃヤクザの血筋だな。でなきゃ二重人格かなんかだ。そうとしか思えねえ」
熱弁を振るうも七瀬も湯田も思い当たる節が無いのかキョトンとしている。レオが嘘をついているようにも見えない。一回見てみたいな、と思っていると、梨子のお腹がきゅるると情けない音を発した。
「ねえ。その話、まだ続く? お腹空いたし、どっかでご飯食べようよー」
「ああ、俺もペッコペコ。母さんに連絡しよ」
「オイラは……やめとくでやんす」
レオは何も言わなかったが、不満があれば口に出す男だとこの数カ月の付き合いで心得ていたため、梨子はその無言を賛成と受け取ることにした。
「湯田君はもうすぐそこが家だしね」
「そうなの?」
「うん。そこのカステラ屋さん」
七瀬が指差した先には既にシャッターの降りた二階建ての小さな製菓店がある。そういえば去年、買い食いして帰ったことがあったっけ。口の中に溶けるように広がる甘味を思い出し、梨子はますます空腹に襲われた。
「それじゃ、湯田っちはまた今度ね。行くよ、レオ、猛!」
「湯田っち……」
初対面の女子にいきなりあだ名をつけられ戸惑う湯田を残し、梨子は足早に商店街の目抜き通りを進んでいく。湯田に別れを告げその隣に並んだ七瀬は、右へ左へと忙しなく視線を動かす梨子に訊ねた。
「で、どこにする? 色々あるけど」
「んー、どうしよっかな。ガッツリいきたい気もするし、でもこんな時間からガッツリ食べるのも罪悪感あるしなー」
「ファミレスとかは? 好きなもん選べるし、後から追加もできるし」
「フツーすぎてつまんないから、却下」
まさかの理由で一蹴されヘコむ七瀬を気に留めることなく梨子の選別は続く。その視線はこじんまりとした喫茶店に留まった。
「なんかもうお腹空き過ぎちゃったし、ここでいいや。喫茶店ディナーってオシャレっぽいし」
「……あれ? ここって――」
「おい、そこはやめろ!」
二人の数歩後ろをゆっくりとついてきていたレオが静止の声を発するも、空腹の少女はもう止まらない。
ドアに取り付けられたカウベルが鳴り、小柄な少女がすぐに飛んできた。
「いらっしゃいませ! 何名様――って、梨子さん!」
「あれ? たしか、春香ちゃん!」
再会を喜ぶ二人の顔を交互に見遣る七瀬の後ろで、レオは心底気だるげに首を横に振った。
客として見ると、結構狭い店だったんだな。
レオは目の前で行われている自分への糾弾を聞き流すべく、まばらに客の点在する店内を見回しながらそう思った。ホールは二人で回しているようだが、駆ではなくパートの女性が欠伸交じりにぼんやりと突っ立っている。どうやら今日は駆はいないらしい。
「酷いんですよ、古河さん。校舎で会うなり『おい、バイトしねえか』って言って、いきなり私をここに連れてきて、自分はすぐ帰っちゃったんです! まあ、特に部活に入る予定も無かったんでいいんですけど……」
「ごめんねー、春香ちゃん。そういうヤツなんだよ、レオって」
「メールも酷いんですよ! 学校のこととか聞こうと思ってメールしても『先生に聞け』だけ。それも最初の一回だけで、後は返信もしてくれないんです!」
「分かるよ、分かる。あたしも今日みたいにご飯とか行こうと思ってメールしても、返ってきたためしが無いもん」
さっさと帰りたい。晩飯を食ったらすぐにでも席を立とうと考えていると、小脇を肘で突かれた。
「なあ。倉見さんって、中学からの知り合いかなんか?」
「違えよ。オルフェノクに襲われてたとこをたまたま助けてやっただけだ」
「ふーん……レオも隅に置けない、っていうか普通に羨ましいな」
「この状況の何が羨ましいんだ。おい、倉見。お前もいつまでもくっちゃべってねえで仕事しろ、仕事」
まだ話し足りないと言わんばかりに唇を尖らせ春香は席を離れる。やっぱりあんな約束、するんじゃなかった。ファイズフォンを手に入れた弊害だと、レオは見当違いに黒野を恨んだ。
店内をゆっくりと歩く春香をぼんやりと目で追う七瀬の対面に座る梨子は、その視線の熱っぽさを汲み取り、にぃと薄く白い歯を晒した。
「もしかして~。猛って、春香ちゃんみたいなのがタイプ?」
「は!? え? ち、違うよ!」
慌てて首を振る七瀬は一瞬にして耳まで真っ赤になる。その反応を見て、梨子はいよいよ嬉しそうに相好を崩した。
「またまた~、隠さなくていいよ。シシュンキだもんね~、うんうん。なんならこのリコちゃんがキューピッドになってあげようか?」
「なんだ、そうなのか。いいんじゃねえか。倉見は礼儀ってもんを知ってるしな。どっかの誰かと違って、空き缶を武器にしたりもしねえ」
「……ここが喫茶店で良かったね、レオ。後で覚えてなさいよ」
年相応たる恋バナの甘酸っぱい雰囲気は一転してハブとマングースの対決の如き様相に様変わりした。視線を外した方が負ける。三下さながらの喧嘩根性を剥き出しにした戦いは、七瀬のひと声で中断と相成った。
「いやいや、ホントに違うんだって。そりゃ、倉見さんは可愛いけどさ。俺も高校生だし、彼女欲しいなーとか、そんな程度にしか考えてないよ。それに倉見さんは、たぶん――」
そこまで早口に捲し立てた七瀬はお冷やをぐいとひと息に飲み干し、ちらりとレオを横目に見た。怪訝そうに眉根を下げるレオに対し、七瀬はふぅと溜息を吐く。
「いや……やっぱり、なんでもない」
「んだよ。言いたいことがあるならはっきり言え」
「そうだよ、猛。そういうの、余計に気になるんだよ」
「なんでもないって! それより、せっかくこの三人が揃ったんだから、今後の話をしようよ」
強引に二人の追及を引き剥がし、七瀬はかしこまったように腕組みをした。
「だから、テメェの今後の話をしてたんじゃねえか」
「そうじゃなくて、オルフェノクとヒーローのことだよ。俺、思うんだけどさ。せっかく博士から凄い力を貰ったんだから、もっと有効活用するべきだと思うんだ」
「有効活用って……どういうこと?」
恋バナを有耶無耶にされたことに多少不満を残しつつも梨子が先を促す。七瀬は周囲に気を配りつつ、声のトーンを一段落とした。
「そりゃもちろん、人助けだよ。デルタとファイズなら勝てない相手なんていない。だから空き時間を使って街を巡回するんだ。それこそ倉見さんみたいに、オルフェノクに襲われてる人を助けられるかもしれないだろ」
熱の籠った調子で続けながら、きっと賛同してくれるだろうと高を括っていた七瀬は、ちらりと見たレオの横顔にぽかんと口を半開きにした。
レオはまるで興味が無さそうに頭の後ろで手を組むと、相変わらず埃塗れのシーリングファンを眺めながらぼそりと呟いた。
「オレは、パスだ」
「なんでだよ。オルフェノクやヒーローに対抗できるのは俺たちしかいないんだって、分かってるだろ?」
「んなこたぁ知らねえよ。少なくともオレは、慈善事業でファイズになったわけじゃねえ」
「でも、リコや倉見さんは助けてるじゃないか。それに、俺だって」
「前にも言っただろ。全員助けられたのは偶然だ。助けられなかったヤツがいることは、テメェも知ってんだろ」
向けられた鋭利な眼光に七瀬は息を呑んだ。レオが部活で被る帽子の庇の裏に血痕があることは今や野球部の誰もが知っている。その血はまるで少年の無念を象っているかのように、どれだけ洗っても拭い取れない。チームメイトたちは皆レオの血だと思っているが、七瀬だけは唯一それが誰のものであるか知っていた。
「知ってるよ。だからこそ、だ。二度と周君のような被害者を出さないためにも」
「やりたけりゃ勝手にやってろ。オレはヒーローごっこは御免だね」
レオはそれだけ吐き捨てるとテーブルに肘をつき七瀬から顔を背けた。困ったように対面の少女を見ると、こちらも神妙な面持ちでレオを見つめている。
「リコからも何とか言ってくれないか。俺は一人でもやるつもりだけど、レオがいてくれた方が心強いし……」
「……ゴメン。あたしからは、何も言えない。だって、変身して戦うのは猛とレオだもん。そりゃ確かに、人助けができるならした方がいいのかもしれないけど……それを戦えないあたしが言うのは、なんか違うと思う」
俯く梨子に対して、七瀬はそれ以上援護を求めることはできなかった。
三人の間に重い沈黙の帳が下りる。
この三カ月間、ヒーローやオルフェノクの襲撃を退けるうちに七瀬にも分かったことがあった。
レオと七瀬の戦力差。それはファイズとデルタの性能の差ではなく、黒野が指摘していたオルフェノクとしての資質や闘争本能に起因しているように思えた。レオはヒーローと互角以上に渡り合えるのに対し、自分はオルフェノク相手でも後れを取ることがある。
オルフェノクとして再生したと知らされた時、デルタギアを黒野から託された時、七瀬は正義の御旗を手渡されたように感じた。理不尽や悪にはそれを上回る力が無ければ戦うことはできない。
その使命を帯びた以上は、自分にはその旗を降る義務がある。
隣の少年もまた、同じではないのか。
「なあ、レオ――」
「お待たせしました! カレーライス二つとカルボナーラです!」
なおも食い下がろうとしたとき、春香が湯気の立つ皿を三つテーブルへと並べた。途端、別人のように静まり返っていた梨子が目を輝かせる。
「わーっ、美味しそう!」
「えへへ、美味しいですよ! まあ、私が作ってるんじゃないですけど……それより、どうしたんですか? なんか暗くなってるように見えましたけど」
「ん? ああ、えーっと……恋バナだよ、恋バナ! 猛が彼女ができないって話!」
「恋バナですか! 七瀬さん、ファイトです!」
右腕を高く上げる春香の明るさが伝染したように、場の空気が一人を除き一気に弛緩する。
ここまでか。七瀬は一旦話を続けることを諦め、運ばれてきたカレーライスをスプーンで掬った。
「ん……美味しいよ、これ!」
「ありがとうございます! 私じゃないですけど……」
「こっちも美味しい! ねっ、春香ちゃんはさ、彼氏いるの?」
パスタを嚥下した梨子は心底幸福だと言わんばかりに顔を蕩けさせ、七瀬に目配せをした。春香は急な質問に激しく瞬きを繰り返すと、落ちてきた髪を耳にかけながら小声で答える。
「えっ? い、いませんけど……梨子さんは?」
「あたし? あたしもいないんだなー。手下その1とその2なら目の前にいるんだけどねー」
「だ、誰が手下だよ!」
「ちょ、ご飯粒飛ばさないでよ! 汚いな!」
落ち込んだ雰囲気を挽回するかのように大きな声で騒ぐ二人を余所に、春香はこっそりと安堵の息を吐いた。
そんなやり取りもどこ吹く風とばかりに、レオはただ黙々とカレーを口に運んでいた。
Φ
陽が落ちてから立ち込めてきた厚い雲が覆う空を眺め、一雨来そうだなと梨子は思った。
氷嚢を固定していた包帯を剥ぎ取り身軽になったレオに数歩遅れる梨子の隣を歩く七瀬の顔は、まるでその空色を映し込んでいるようにも見える。
「結局あれから、ひと言も喋らなかったな。怒らせちゃったん……だよな」
「頑固なヤツだからねー。まあ、不機嫌ってよりは『オレは意思を変えるつもりは無いぞ』って感じかな。別に怒ってないと思うよ」
「そう……なの?」
顔を上げた少年の顔が街灯に照らされ、ほんのり明るくなる。梨子にも確証は無かったが、本当に機嫌を損ねているときはもっと歩調が速い、ような気がしていた。
命を助けられたということもあってか、それとも多くを語ろうとしない態度からなのか、父か兄のように見えることもあるが、こういうときは手のかかる弟のようにも感じられる。
梨子はくるりと七瀬と向き合うように前に踊り出ると、そのまま後ろ向きに歩きながら少年へと微笑んだ。
「あたしはさ。猛の言ってることも分かるよ。オルフェノクとかヒーローからホントにみんなを守りたいんだなって伝わってくる。博士にデルタギアを貰う時のアンタの目、すごく真っ直ぐだったもん。あんな怖い連中に自分から立ち向かっていくなんて、たぶんあたしにはできない。尊敬する」
褒められるとは思っていなかったのか気恥ずかしそうに帽子の日除けに手を伸ばす七瀬の仕草に笑みを零しつつ、梨子はちらりと先を往くレオの背中を見た。
「レオはさ、博士に頼まれてもずっと変身するのを嫌がってたんだ。ホントはオルフェノクにもなりたくないんだと思う。それはきっと今も同じ。それでもレオが戦うのは、たぶん――」
背中が固い何かに当たり、言葉が中断される。
「レオ?」
立ち止まったレオが雨音の中から何かを探し出すようにキョロキョロと辺りを見回していた。
「なんかあったの?」
「黙ってろ」
にべも無く怒鳴られ小鼻に皺が寄る。言われたとおりに口を閉ざしレオに倣い耳を澄ませてみるが、雨音以外は何も聞こえない。
幾秒か経過したところで、レオと七瀬は同時に元来た道へと駆けだした。
「――あっちだ」
「ちょっ、二人とも!」
あっという間に米粒ほどに小さくなる二つの背中を見失うまいと、梨子も慌ててその後を追った。
夜の校庭は振り出した雨によって薄いカーテンのような霧がかかっている。
靄の中を四つの影が踊る。一人は逃げ、三人は互いに組み合いながら争う。目を凝らしていた七瀬はその一つによく知った顔を認めエナメルバッグを投げ捨てた。
「東さん――!」
「あのオルフェノク、センパイを守ってるのか」
足を縺れさせながら逃げ惑う東を守るように、蜻蛉の特性を備えたメイフライオルフェノクが立ちはだかる。キリンの性質を併せ持つジラフオルフェノクとモグラの特質を持つモールオルフェノクの猛攻によってだろう、蜻蛉の足元はふらふらと覚束ない。それでもオルフェノクたちが東に近寄ろうとするたび、蜻蛉は果敢に身体ごと飛び込みそれを阻止しようとした。
オルフェノクの中にも、自分たちと同じように自我を失わない個体がいるのか。
「どっちでもいい! 東さんを助けないと!」
バッグからベルトを引っ張り出した少年が立ち上がる。
ピストルの持ち手だけを切り出したような形状のデルタフォンのトリガーを引き、七瀬は駆け出すと同時に叫んだ。
「変身ッ!」
音声入力式の次世代型デバイスに変身コードが入力される。承認を知らせる電子音が鳴るや否や、右腰のバックルに換装されたデルタムーバーにデルタフォンを叩きつけるように接続した。
少年の四肢を流動経路たる白いブライトストリームが一瞬のうちに駆け巡り、七瀬は超金属の戦士デルタへと変身した。
二体のオルフェノクに殴りかかるデルタに続くようにベルトを装着していると、前髪をべったりと額に貼り付けた梨子が今にも地面に倒れ込みそうな様相で校門脇の通用口を潜り抜けるのが見えた。
「リコ。センパイを頼む」
「人遣い……荒い、なあ! わかったよ!」
息も絶え絶えの梨子が不問を零しつつもそのまま校庭へ向かうのを尻目に、レオはファイズフォンを取り出した。
――555。
手馴れた様子で素早く打ち込まれた電子音が校庭に響く。
――『Standing by』
高々と掲げた右腕が強まる雨空を切り裂く。
「変身!」
ファイズフォンを中央のホルダーに装填されたベルトからフォトンブラッドの紅い閃光が奔流のように身体中を迸る。『Complete!』の音声と共に地を蹴り飛ばす。
その瞬間、不意にぞわりと背筋を悪寒が走り抜けた。
「おっと。お前の相手はこっちだぜ」
雨と共に降り落ちてきた声。直感的に前方へ転がり込むのと、地面が抉れ土塊が雨と混然となって降り注いだのは同時だった。
煌々と黄金色に輝く複眼を後方へ向ける。蜘蛛の巣状にひび割れた大地の中心から、青緑色のヒーローがゆらりと立ち上がった。
「寒色七人衆が一人、音速のシアン様たぁ俺のことだ。ニセヒーローはここで成敗してやるぜ。おい、ブラック! お前も援護しな!」
黒い戦士が雨靄のヴェールを潜り抜けゆっくりと近寄って来る。
忘れもしないあの夜に見たその姿に、レオは息を呑んだ。
「お前は――」
梨子を助け、レオの変身に対しても静観を貫いたヒーロー。手放しで味方だと言うことはできなくても、ブラックは少なくとも敵ではないのかもしれない。
その認識が、レオの意識に穴を開けた。
「ヘイヘイ、そっちはオマケだよ、オマケ! 俺様の雄姿、冥途の土産にしっかりその目に焼き付けていけよ!」
シアンの声で我に返る。
雨に濡れる黒いマスクだけが視界に映る。
「もっとも、お前に見えればだけどな」
咄嗟に胸の前で構えた両腕の間をすり抜け、シアンのアッパーがファイズの下顎を打ち抜いた。
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