ほんのりまろびね

パワプロクンポケット(パワポケ)の二次創作小説(SS)をぼちぼち書いてます。

パワプロクンポケットΦ 2話『BEASTbite』(パワポケ7異聞)

土曜の夜はパワポケΦ!

……って自信もって言うのはあと3週くらい継続してからにしような。

 

 

前の話はコチラ。 

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 体中に力が迸る。脳髄から爪先まで全身に血が巡るのを感じる。

 鈍色の豹はぐっと体躯を丸め込み高く跳躍。灰色の戦士へと固い表皮に覆われた拳を叩きつけた。両手を交差し身を護るグレー。知ったことか。その防御ごと殴り飛ばす。屈強な戦士の身体が、木の葉のように舞い鉄骨の山を突き崩した。手に残る強かな感触。豹の化生はその感触を確かめるように二三度拳を開閉させる。

 その時はじめて、レオは自分の身体が人間のそれとは乖離していることに気が付いた。

 周囲を見回す。うすぼんやりとしていた先刻までとは打って変わって、まるで昼間になったかのように明るく鮮明に映る。豹の輝膜は即時にフェンスに立てかけられるように打ち捨てられていた錆だらけの鏡を捉えた。

「これは……」

 恐る恐る近付く。鏡の中に写り込む、銀とも灰色ともつかぬ硬質を思わせる外皮。体格は一回り以上肥大化し、骨格は逞しく巌のようにごつごつと張り出している。巨大な手の先から伸びる爪は、その一本一本が鋭利なナイフを思わせる。豹を象る頭部の左右に位置する瞳だけが、煌々とエメラルドに燃えていた。

 背後に気配。振り返りざまに裏拳を振るった。グレーの右腕が受け止める。拳同士の鍔迫り合い。気合の咆哮と共に、振り抜いた。バックステップで強靭な膂力をいなしたグレーが、苦々しそうに呟く。

「お前、オルフェノクだったのか……聞いてねえぞ、そんなの」

「オル――なんだって?」

「まあ、それならそれで遠慮なくやれるってもんだ。この世の中なぁ、怪物はヒーローに退治されるって相場が決まってんだ。来いよバケモン。ヒーロー様が退治してやるぜ」

 くいくいと指を前後に動かすグレー。

 不意にその姿が事故の際に見た、掠れる視界の中のヒーローの姿と重なった。

 目の奥がチカチカと明滅する。シナプスが一本一本千切れていくように思考回路が潰れてゆく。ヤツを倒す。引いた右足。筋肉が膨張する。豹が吼えた。蹴り飛ばした大地が土塊を撒き散らし抉れる。瞬きをするよりも早く、レオは戦士の眼前に到達した。

 体の前で交差した腕を左右に振るう。爪が肉を割く感触。怯んだグレーへと、豹は的確に追撃を加えた。右。左。右。左右の拳がマスクを襲う。グレーが猛襲を止めるべく打ち出したカウンターを、無慈悲に弾き落とした。よろめきながら後退する戦士の胸を、しなやかに伸びた右足が蹴り抜く。たたらを踏むグレーを眼下に、豹は高々と跳んだ。

「ま、待てっ! 俺を倒せば、他の仲間たちが黙っちゃいねえぞ!」

 悲痛な叫び。ヒーローとは思えぬ三下の負け惜しみ。

 それがどうした。

 白い月をバックに豹が雄叫びを上げた。その声に呼応するように、手の甲から外骨格が発達した刃が生える。降下と共に、唸りを上げた爪と刃が垂直に振り下ろされた。

 グレーの視界に銀の筋が煌めく。そして、彼の意識はそこで途切れた。

 豹の蛮声が静寂に響き渡る。

 戦士の身体は灰と化し、そこに吹いた一陣の風に吹かれ消えた。

 

 

 

Φ

 

 

 

「グレーの反応が消えた? そんな馬鹿な」

 振り返りもせず剣呑な声を飛ばす赤いマスク。頭ごなしの否定を聞きながら、ピンクはどさりと音を立ててぼろぼろのソファに座り込んだ。目に見えて舞い散る埃を手で払う。呼吸の必要は無くても、気分は悪い。その苛立ちをぶつけるように、大きな声が出た。

「ホントよ。アタシの探知機能が信じられないって言うの?」

「いや、そういうわけじゃないが……それにしても、消えるっていうのは俄かに信じがたいな」

「お前が探知できる範囲外に出たとか、そういうのじゃないのか」

 暗い部屋の隅で大型のカプセルを前に座り込んでいたブルーが割り込んでくる。渋めの低い声にその身を歓喜に震わせながら、ピンクは控えめに反論した。

「その可能性はあるけど……反応が消えてもう6時間よ」

「6時間。たしかに少し長いとは思うが、しかし……」

「あら、そう。これはさすがに報告事項だと思って言ったんだけど、不必要だった?」

 感覚器官に優れ、脳波や電磁波などの人間には感知不可能な波動も識別できる。他のヒーローにはない自身の能力に矜持を抱いていたピンクは、なおも食い下がろうとするレッドにあからさまな不快感を籠めて呟いた。

 探知能力もなく、いくらか朴念仁のきらいがあるレッドは、素振りの手を止め参謀役を司る青い戦士へと問い掛けた。

「6時間か……ブルー。あいつはまだ野球部に合流はしていなかったな」

「ん? ああ。グレーはまだだな」

「それじゃ、今は何をさせてるんだ。野球の練習か?」

「いいや。あいつにチームに加わってもらう予定はないね。グレーは使いづらいんだよなあ。機械には弱いし、ネットも使えねえし……街の警邏だったはずだぜ、たしかな」

 ブルーは大型カプセルと向き合ったまま、顎に手を当て記憶を絞り出す。その傍らにはグリーンが控えており、野球部の練習から帰ってきてからずっと二人で目の前の装置の解析に勤しんでいる。どうにも、面白くない。ソファに寝転がり、レッドからマスクを背けた。

「ふむ……気になるな。ピンク。グレーは誰かと交戦していたのか?」

「えっ? えーと、それは分からないわ。他の生き物の探知をするには遠すぎたし……」

 染みの目立つ背もたれと睨めっこをしていたピンクが反転しもごもごと口ごもる。

 ヒーローを探知する周波は他の波よりも遠くまで感じることができるが、その周囲に何かがいたのかまでは分からない。いちいち痛いところばっかり突いてこないでよ、バカ。ピンクはレッドにテレパシーの能力が備わっていないことに感謝した。

「そうか。なら仕方がない。しかし、人間にやられるほど後れを取ったというのも考えにくいな……」

「怪人にやられたんじゃないのか? 飼い犬に手を噛まれるってね」

 苦笑交じりのブルーの声。

 街外れの研究所を襲撃して怪人量産マシンを強奪したのは他ならぬ自分たちだった。些細な悪事に手を染めるワルクロ団に怪人を提供し、その暴動をヒーローの活躍によって鎮めるという、質の低いマッチポンプ。犯罪の規模の拡大により強力な怪人が作られるようになっていたが、それでもヒーローたちとの戦力差は提灯に釣り鐘とばかりに開きがある。負ける筈が無い。レッドは静かに首を振った。

「それは考えられない。何か、俺たちの想定の及ばないものがいるのかもしれないな。ブルー、そっちの調査も進めてくれ。それとピンク、グレーの反応が復活したら教えてくれ」

 こくりと頷くピンク。相変わらず顔を向けぬまま、手をひらひらと振るブルー。赤い戦士はそれを承諾の意と受け取ると、暗い部屋に備え付けられた唯一のドアに向かう。

「ただいま戻ったぜ~。お。レッド、どっか行くのか?」

 レッドがドアノブに手を掛けるよりも早く、イエローがコンビニの袋を片手に姿を現す。途端、部屋いっぱいに充満するカレーの臭いに、ピンクは嗅覚のスイッチを弱めた。

「ランニングだ。お前も一緒にどうだ」

「ええ? カレー食いたいし、オレはいいや。ていうか、そんなに練習しなくても地区大会くらい余裕だろ?」

「……さあな。ヒーローに油断は禁物だ」

 それだけ告げると、赤い戦士はするりとイエローの脇を抜けた。

 閉まったドアを見つめながら、黄色の戦士は呆れたように肩を竦める。

「レッドのやつ、よっぽど野球が気に入ったんだろうなあ。オレはカレーの方が好きだな」

「どうでもいいけど。カレー、温めてくるのやめてよね。臭いがキツくて気絶しそうになるわ」

 プラスチックの蓋を開いた瞬間、容赦なく襲い掛かってる暴力的な激臭に、ピンクはいよいよ嗅覚をシャットダウンした。

「そんなこと言うなよ。カレーは温かいのがイチバンなんだからよお。はぁ……この匂い。たまんねえよなぁ」

 嬉しそうに声を上げるイエローから目を背け、ピンクは未だ部屋の隅でグリーンと密談に耽る青い戦士の背中を見つめた。ヒーローにはそれぞれ特性がある。グリーンは精密機器の分析に精通している。自分が適役ではないということは理解していたが、一抹の期待を込めて話し掛けた。

「ねーえ、ブルー。アタシにも何か、手伝えることない?」

 知らず、自分でも気持ち悪いと思うほどの猫なで声になる。この場に黒いのがいなくて良かったと、胸を撫でおろした。

「ん? あー、特にないな」

 返答はいつもと変わらない冷めたものだ。声に色があるなら、たぶん青。きっと、頬があれば破裂させそうなほどに膨らませていただろう。こういうときは便利ねと、ピンクは少しだけ人間に羨望の念を抱いた。

 もはや、その謎のカプセルが憎い。怨嗟を籠めつつ、めげずに続けた。

「さっきからずっとそれに尽きっきりだけど、何なの? それ」

「これか? そうだな――」

 ブルーのマスクが、執心していたカプセルからこちらへと傾く。やった、と叫びたくなる衝動も束の間。

「真の英雄を生み出す装置、ってとこだな」

 無表情なマスクが、凄惨に歪んだように見えた。

 

 

 

Φ

 

 

 

 客の出入りを示す電子チャイムの音が鳴り響く。昼のピークを過ぎた14時前。喫茶店は束の間の静寂に包まれている。レオは空のコーヒーカップと灰皿を銀のトレイに乗せ、ダスターでさっとテーブルを一撫でした。

 労働中は忙しさに任せ頭の奥に押しやっていたことも、身体が空けばすぐに溢れ出してくる。

 引き潮で露わになる海岸線のように、激情の波が引くのと共に、その姿態は人間のものに戻った。誰かが騒ぎを聞きつけたのか、遠くでパトカーと思しきサイレンの音が響く。レオはじくじくと痛む脇腹を押さえながら、その場から逃げ出した。自室に辿り着くや否や、床に吸い込まれるかのようにその場で眠り込んだ。

 目覚めて一番に驚いたのは、節々の痛みが嘘のように消え去っていたことだ。頬の腫れも引き、呼吸のたびに痺れるように走る疼痛も無い。ただ灰色の戦士を切り裂いたときの感触だけは、網膜に焼き付く映像と共にありありと残っていた。家に帰るなり脱ぎ捨てた服にこびり付いた血液と土塊が、それが夢でも妄想でもないことを物語っている。

「ふぅ。やっと落ち着いたな。ありがとう、古河君」

 バイトリーダーの任月駆の労いに、レオは小さい会釈で応える。昨日事情を説明した際に、ちょうど今日の昼、いつもこの時間に入っているパートタイマーが来られなくなったと聞いた。新機種の値段が脳裏を過ぎった高校生は、平時であれば一も二も無く断っているところを、迷わずその代打を受け入れたのだった。その際の駆の驚きようは言うまでもない。

「でも、驚いたよ。まさか古河君が入ってくれるとは思わなかったからさ。いや、こんな言い方は良くないか。本当に助かったよ」

「別に。カネが欲しいだけですから」

「ははは……古河君は正直だなぁ」

 駆は困ったように笑い、厨房へと向かう。聞いているだけで眠気を誘うようなクラシックピアノの響く店内で、レオは何度目か分からぬ回想に耽った。

 グレーの言葉を真実と信じるのであれば、穴だらけではあるものの欠けた記憶の切れ端は掴んだことになる。一昨日の夜、あの空き地で、グレーが何かをしているところを目撃したということ。交戦したのか、逃げ出したのか。いずれにしてもレオを取り逃した灰色の戦士は、目撃者を確実に屠るべく再度あの場に現れ、そこにのこのこと全てを忘れた自分がやってきたのだ。

 疑問はやはり、初日の夜にある。自分のことをオルなんとかと呼んだグレーの声は、信じられないものを見たかのように震えていた。だとすれば、少なくともレオが覚えている限りでは、あの銀色の豹の姿になったのは昨日が初めてということになる。

 それなら初日の自分は一体どうやって、グレーの猛攻から逃げおおせたのか?

 変化する前の戦力差は歴然だった。あれは交戦でも何でもなく一方的な蹂躙だ。逃げ出すことも許されず、ただ灰色の戦士の気分一つでぷちりと潰されるようなちっぽけな命。実際、グレーには確かな感触があったのだろう。そこでレオが死んだと誤認し引き上げた。ところが、その正体はオルなんとかで、今朝も体験した超人的な回復能力で一命を取り留めていた。これなら一応の辻褄は合うが、新たな疑問が湧く。

 オレはいつからバケモノになったんだ?

 あんな姿になったことは17年間で一度も無い。両親がオルなんとかだというなら分からないことも無いが、レオの知っている限りではどこにでもいる普通の人間だ。勿論、自分に正体を隠しているという可能性も否定はできないが、たまの休みに居間で見かける股引一丁で煙草をふかしながらテレビをぐうたらと眺めている様からは、とてもあの異形の姿を連想することはできなかった。

 グレーを両断した右腕に視線を落とす。見慣れた自分のかさついた大きな掌。今はその形を保っているが、いつまたあの姿になってしまうのか。耳朶の奥に響いた獣の叫びが蘇る。あの身体の内側から沸き起こる衝動は、ヒトが獣から進化する中で捨てていった何かだ。

 豹に変化したときも、グレーを征すべく眼下に捉えたときも、躊躇や畏怖は一切感じなかった。外敵を排除するために戦う。極めて当たり前に行われる営みの一環として爪は振るわれ、灰色の戦士を抹消した。

 いや、殺した。

 驚くべきことに、レオはその事実を淡々と受け入れていた。相手がヒーローという得体の知れぬ連中だったからか、それとも豹の化生になった影響なのか、それともその両方か。いずれにしても、血を吸った蚊を叩き落としたがごとく、それは日常という円環の中に自然に溶け込もうとしていた。

 オレはもう、人間じゃないのかもしれない。

 天井に吊り下げられたシーリングファンを見上げる。悲観的に結論付けてみたものの、まったく実感が無い。いっそ豹のまま姿が戻らなければもう少し真剣に考えられたのかもしれないが、こうして閑古鳥の鳴く喫茶店で突っ立っていると、自分が人間ではないなどという驚天動地な解を導くことはとてもではないが限りなく不可能に思えた。

 バリバリと音を立てて髪を掻く。そういえば、こんなに髪は長かっただろうか。まさかこれもオルなんとかの影響なのか。それならやっぱりオレは人間じゃないのか。だったらこんなとこでバイトしてるオレはなんなんだいや人間だったらもうちょっとビビるだろだからってあの時はああするしかなかったじゃねえかそもそもグレーもオレのことをオルなんとかって言ってたしていうかだいたいオルなんとかってなんなんだ――!

「古河君……ファンに、なんか付いてる……?」

 遠慮がちに発せられた呟き。ホールへと戻ってきていた駆は、まんじりともせず天井を睨み続けるレオを怪訝な表情で遠巻きに見つめていた。なんでもないです、といったようなことをもごもごと口の中だけで発音し、レオは視線を窓の外へ移そうとした。

 しかし、シーリングファンの如く同じ場所をぐるぐると回り続ける疑念は、もはや少年の単純なつくりをした脳味噌では解きようが無いほどに散らかりまくっている。

 目前には、ティータイムを目前に各テーブルのチェックをするバイトリーダー。

 この際、誰でもいい。

 熱暴走を起こしそうなほどオーバーワーク気味の頭を抱えながら、レオはその小さな背中へと問い掛けた。

「リーダー。人間ってなんなんスかね」

「古河君、意外と……難しいことを考えてるんだね」

 振り返った駆の小さな瞳は、今まで見たことが無いほどに上下に拡げられている。そりゃ、たしかに訊き方は悪かったけど、そんなにか。悲しいほどに感情が顔に出る少年を前に、駆は慌てて両手を振った。

「ああいや、バカにしたわけじゃないんだ。気に障ったよな。ごめん」

「いや、別に」

 レオはそっぽを向き唇を尖らせる。この程度のイラつきではオルなんとかにはならないらしい、などと暴力的なことを考えているとは露知らず、駆はゆっくりと述懐するように呟いた。

「そうだなあ。ボクも色んな人間を見てきたけど……見た目は人間でも、人間じゃないヤツはたくさんいると思うよ」

 少年の漠然とした質問を、どのように咀嚼したのか。一笑に付されるとばかり思っていたレオは、寂しそうに微笑む駆を見た。

「ボクもこう見えて、昔は結構いい暮らしをしてたんだ。といっても凄かったのは父で、ボクは何にもしてないんだけどさ。才能も努力もない。ただ見晴らしの良い部屋で座り心地だけは良い椅子に座って他人を顎で使うだけ。ボクの後ろには父の影が見えてるから、誰も逆らったりしない。それでも、ちょっとでもイヤな顔をするヤツがいたら父に告げ口をするんだ。そうすると、次に会ったときはペコペコ頭を下げてくるか、もう二度と会わなくなる。周りの人間は全部自分のオモチャだとさえ思ってたんだ。気に入らなかったら捨てる。それが当然だと思ってたし、ボクはそれをしても許されると思ってたんだ。まあ、絵に描いたようなバカ息子ってやつだよね」

 恥ずかしそうに駆は笑う。レオはどんな顔をしていいか分からず、拭いたばかりのテーブルをもう一度磨いた。

「古河君が何に悩んでるのかは分からないけど。さっきの質問。ボクは、他人の心を理解しようと思える人が、本当の意味での人間だと思うよ。あれから色々あって、ボクもやっと自分の過ちに気付けた。今は少しでも……人間に近づけてると、いいんだけどね」

 ダスターを握る手が止まる。駆の方を見ると、テーブルの淵まで丹念に拭う小さな背中が忙しなく動いていた。

 その背をじっと睨みつける。

 この小男は、少し妄想癖が入っているのかもしれない。30代も後半に差し掛かろうかというどこにでもいるような男が、そんな激動の半生を送っているようにはとても思えない。先程の回想はおそらく虚言か、良くて誇大表現といったところだろう。それにしても情感たっぷりに話すもんだと、レオはバイトリーダーの全く予期せぬ方向で感服していた。哀れなり、今は無きドリルコーポレーションの後嗣。

 ただ、決して愛想がいいとは言えない新入りバイトのことを真剣に受け止めてくれたことだけは、ささくれ立ったレオの心にもじんわりと染み入っていた。

「……リーダーは、人間ですよ」

 聞こえるか聞こえないか怪しいくらいの音量で囁く。届かなくていい、むしろ届くな。口にした直後に照れ臭くなったのか、レオは大股で駆から離れていった。

「古河君、キミは……いいヤツだな」

 チャイムが鳴る。主婦仲間と思しきグループのけたたましい喚声が、その声を掻き消す。時刻は午後2時半。喫茶店バイトの次なるラウンドのゴングが打ち鳴らされた。

 

 

 

Φ

 

 

 

 バイトは5時過ぎに終わり、レオは夕焼けに染まる帰路をぼんやりと歩いていた。

 胸中を渦巻く鬱屈とした煩悶は、駆の配慮も虚しく依然としてくすぶり続けている。何かしらの結論を出そうにも、何の情報も持っていないことにはどうしようもない。かと言って、誰に何を訊けばいいのかも分からない。真っ先に浮かんだのは周の顔だったが、何から説明すればいいのか見当もつかない。

 気付けば足は件の空き地に向かっていた。まさかヒーローたちが集結して自分を待ち構えているなんてことはないだろう、いやむしろそれはそれで分かりやすくていい。半ば投げやりに考えながら、入り口が見渡せる角を曲がる。

 そこに待っていたのは色とりどりのヒーローたちではなく、入り口を封鎖するように停車された白黒のパトカーだった。眉を八の字に曲げた警察官が、何やら滔々とまくし立てる妙齢の女性の話を聞いている、というよりは一方的に聞かされているといったところか。

 昨日の騒ぎが通報されたのかもしれない。無関係を決め込みその前を通り過ぎようとしたとき、警察官は慌てたように腕を伸ばした。

「あ、ちょっと! キミ! この辺の子?」

 女性の長話から逃げたかったのか、幾分安堵交じりに呼び止められる。レオは鼻から大きく息を吐き出すと、三白眼で首を縦に振った。

「そうか。よかったらちょっと教えて欲しいんだけど。あ、自分は警察だけどね」

 見りゃ分かる。レオはそう口にしたくなるのをなんとか堪えながら、坂本一平と書かれた写真付きの警察手帳を眺めた。少し嬉しそうに緩む口元を見ると、この流れがしたかっただけのようにも思える。

「昨日の夜なんだけど、この辺で大きな音がしなかった?」

「した、と思う」

「それ、どんな感じだったか覚えてる?」

「あんまり詳しくは。金属音……みたいなのは、聞こえたかも」

 全部オレがやったことだけどな、と心の中で付け加える。坂本巡査はペンを走らせ終えると、困ったようにポリポリとこめかみを掻いた。

「なんかあったんスか」

「ん? いやー……何かあった、とは思うんだけどね。昨日の夜、喧嘩みたいな騒ぎ声が聞こえるって通報があったんだけど、自分が到着したときにはもう誰もいなくてね。明るくなってからもう一度来てみたら、確かに争ったような形跡はあるんだけど、いかんせん目撃者がいないからなあ。この空き地って、いつもうるさいのかい?」

「いや、いつもは静かだけど」

「そうか……じゃあ、ヤンチャな連中が忍び込んでひと悶着あったのかな。ホームレスが何人かねぐらにしているみたいなんだけど、まだ帰ってきてないんだよな。困るよなぁ。宿直明けでもうへとへとだってのに」

 その言葉通り、坂本巡査の目元にははっきりと隈が浮き出ている。高校生を前に隠そうともせず大きな溜息を吐く姿に、レオは少しだけ同情した。

 浮浪者に見られたかもしれない、と一瞬は危惧したものの、見られたならもっと大事になっているだろうと無理矢理嚥下する。これ以上、悩みの種が増えるのは御免だ。

「……とにかく、ありがとう。この件は何事も無いと思うけど、しばらくは気を付けてな。最近はワルクロ団の活動も過激化してるからなぁ」

 巡査は遠い目をしながら左頬を摩る。以前に何かあったのかもしれないが、自分には関係ない。レオは一度だけ空き地の入り口を見遣ると、小さく頭を下げた。待っていましたとばかりに復活した女性の弁舌が背中越しに聞こえる。話の方向は昨晩の騒ぎから、巡査には直接関係ないであろう昨今の警察の不祥事へと高飛びする。オレは警察はなれねぇなと、暗くなりつつある空を眺めながら少年は大きく欠伸をした。

 

 

 

Φ

 

 

 

 既に街並みの向こうに消えた太陽の残照がいじらしく川の水面を照らしている。

 少しだけ遠回りがしたい気分になって、レオの足は河川敷へと向いていた。

 まだ6時前といった頃だが、辺りに人の姿は見えない。ワルクロ団の動向を懸念していた巡査の思案顔を思い出す。つい半年ほど前はまだこの時間ならジョギングや犬の散歩などで賑わっていた。

 ワルクロ団という犯罪集団の活動が表向きになったのは、昨年の秋ごろからだ。犯罪組織というと凶悪なイメージが先行するが、その当時は商店街の福引の景品を強奪するなど地域のお騒がせ集団といった印象は拭えなかった。それがいつの間にか、銀行強盗、ダム破壊とスケールを着実に大きくし、今では市井を脅かす存在と化している。もっともレオ当人はそこまで気に留めたことはなく、情報は全て野球部に所属していたときにチームメイトが部室で騒いでいた情報を小耳に挟んだだけだ。

 噂では、ワルクロ団にはカニやフグが服を着ただけの怪人も所属しているという。いっそ売り込みに行ってみるのもいいかもしれないと思ったが、カニやフグの隣に銀色の豹を頭の中で並べてみた途端にバカバカしくなって瞬時に妄想を掻き消した。誰に対してでもない恥ずかしさから、足元の石くれを蹴り飛ばす。

 薄暮を割って絹を裂く悲鳴が聞こえたのは、その時だった。

 土手下に広がる短い草が点々と覗くグラウンド。暗がりに溶け込むように揺れる二つの影を捉えた。抱き合うようにも見える二体のひとつは、遠目にもはっきりと分かる。セピア色の外皮。オルなんとか。やはり、いたのか。オレ以外にも。少年は駆け出した。

 堤防の一本道から緩やかに続く傾斜を利用し跳躍。ぬめぬめとした不気味な光を放つ背中へと右足を叩き込んだ。ずぶりと、絡めとられる感触。見た目に反しぶよぶよとした肉感の体表に、少年の身体は柔らかく弾かれる。転がるように受け身を取りつつ、靴の裏にこびり付いた粘液を土で拭った。

 なんだコイツ、気持ち悪ぃ!

 それでも、注意を逸らすことはできた。ナメクジの異形たるスラッグオルフェノクは掴んでいた少女を手放すと、緩慢な動作で振り向いた。それとは対照的に、頭から生える二対の触角が忙しなく動く。そのうちの一本がレオを捉えた。

「おい、動けるか? さっさと逃げろ!」

 怪物の向こう側へと叫ぶ。喉を押さえ苦しげに咳き込んでいた少女は小さく頷くと、小走りに傾斜を駆け上がって行く。レオはその姿をどこかで見たような気がしたが、すぐにその場違いな既視感を振り払った。

「おい、お前。言葉、わかるのか」

 近場に転がっていた太めの枝を突きつける。ナメクジは触角の間の口から覗く繊毛のような歯をもごもごと動かしている。堪らなく、気持ち悪い。オレ、豹で良かった。レオは間隙なく睨みを利かせながら、場違いにこっそり安堵した。

 その口が膨らむのと、少年が異変を察知したのは同時だった。身体に眠る獣の勘。後ろへ飛び退いたとき、少年が立っていた場所を、ナメクジの口から吐き出された粘液が襲った。力強く緑に繁っていた雑草が白い煙を上げ見る見るうちに溶け出す。背筋をつぅと冷たいものが走った。鼻腔を刺激する悪臭を手で払いつつ、叫んだ。

「待てよ。邪魔したのは謝る。ただオレは、話が聞きたいだけ――っ」

 問答無用とばかりに連続して発射される液体を、少年は左右に走って躱す。ナメクジは溶解性の強酸を吐き出しながら、一歩一歩とにじり寄ってくる。このままじゃ、何の話にもならない。レオは靴を地面に滑らせ、一気に距離を詰めた。両手に持ち替えた枝を、怒号と共に黒い斑点の目立つ脇腹へと振るった。落とし穴を踏んだような空虚が手に響く。枝は手元でばきりと折れ、木片がばらばらと中空を舞う。見上げた顔。ナメクジの口が歪んだように見えた。

 唐突に首筋を掴まれる。呼吸を遮断された少年の顔が赤黒く変色する。万力のような力で持ち上げられ、足元が地面から乖離した。ナメクジの腕は粘液を纏っており、掴んでもぬるりと指先から逃げてしまう。大写しになったナメクジの蠢く口元。黒い霧が視界の端から広がり始めている。

 話が聞きたいとか。あの姿になりたくないとか。

 もう、悠長なことは言っていられない。

 やらなきゃ、やられるんだ。

 絞り出した潰れた叫び声。それが反撃の狼煙だった。

 両腕を交差する。研ぎ澄まされた爪が、ナメクジの腕を肩口から引き裂く。甲高い絶叫を背景に着地したレオパルトオルフェノクは、瞬時に後ろへ飛び退き大きく息を吸った。空腹を訴えていた脳に十分に酸素を送ると、目の前の敵を仰ぎ見た。

 ここからは、オレの番だ。

 吠えたてる豹の手の甲に刃が生える。掴めないなら、斬ればいい。低く身を落とした態勢のまま、地面を蹴り飛ばした。吐き出される強酸を輝膜ではっきりと捉え、皮一枚で避ける。もう逃げる必要も無い。レオは一直線にスラッグオルフェノクの胸元に踊り込んだ。左脚に力を籠め小さく跳躍。反転する上半身に捻りを加え、裂帛の気合と共に両腕を振った。爪が肉をこそぎ、刃がナメクジの巨体を肩口から袈裟斬りに粉砕する。吹き出す暗色の体液を気に留めず、勢いのままその場で回転。翻った右腕の刃が、スラッグオルフェノクの身体に真一文字を刻み込んだ。ナメクジは身体をびくりと小さく跳ねさせると、口から泡を吐き後ろに倒れ込む。灰褐色が土に臥すよりも早く、その肢体は灰と化し消えた。

 一度大きく息を吐く。張り詰めた神経が解れるのと同時に身体が人間へと戻る。

 日の落ちた河川敷は、ぽつりぽつりと並べ立てられた街灯の頼り無い薄明かりだけがぼんやりと辺りを照らしている。周囲をぐるりと見まわす。どうやら誰にも目撃はされていないらしい。

「す、すっごーい! すごいじゃん、キミ! ねえ、今のなに!? なに!?」

 はずだったのだが。

 弾かれるように振り返ると、逃がしたはずの少女がまるでテレビの撮影にでも出会ったかのように目を輝かせながら駆け寄ってくるのが見えた。

 見られた。

 レオは目を閉じ天を仰いだ。

 どうする。黙ってろと言ったところで聞いてくれるだろうか。普通の人間から見れば、豹だのナメクジだのは大した違いではないだろう。今回は助けた形になったのかもしれないが、自分がバケモノであることには何ら変わりは無いのだ。だからと言って、口封じを試みるほど心は壊れていない。

 じゃあ、どうする。

 しかし、続けて聞こえた呟きは、ある種あの姿を見られたことよりも大きな衝撃をもって少年の耳に届いた。

「あれ……アンタもしかして、古河……?」

「あぁ?」

 なんで名前まで知ってるんだよ。苛立ちながら見下ろした少女の顔は、レオもまたどこかで見覚えがある。バイト先の客とか、商店街ですれ違ったとか、そんなレベルではない。

 どこで会った。

 辿った記憶の糸は、桜の花びらが風で舞い込む4月の教室に繋がった。

「お前……石川か」

 唸るような少年の声に、石川梨子は元気に白い歯を見せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Next Φ’s

 

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