ほんのりまろびね

パワプロクンポケット(パワポケ)の二次創作小説(SS)をぼちぼち書いてます。

誓い

(初出:2008年)

 

10のヘルガは救われて欲しいよね。

 


 すっかり眠り込んだ街を、月明かりだけが照らしている。
 私は一人、薄暗い部屋で、彼が来るのをじっと待ち続けていた。
 ふと横目で鏡を見る。一糸纏わぬ、昔はよく目を背けていた、裸体が映し出される。もう、何の新鮮味も無い。嘔吐感が込み上げてくることもなければ、悲鳴をあげることもない。涙もとうの昔に涸れ果てた。
 全ての客が寝静まったはずの時間。宿屋の板張りの廊下をこつ、こつと叩く音が小さく聞こえた。誰かを起こしたりしないようにという配慮の込められたそれは、私の部屋の前で立ち止まると、幾許かの間を置いて――まるで、何かを決意するかのような――控えめに戸をノックした。
 扉の下の僅かな隙間から柔い光が漏れている。私はその灯りに向けて話しかけた。
「……入っていいぞ。だが、ランプは消してくれないか」
 この暗さでは、灯り無しでお互いの姿を見ることはできない。
 私をどう見るかは彼の意思だが、見せるのは自分の意思でありたかった。
 僅かに金属が擦れ、息を吹きかけるような音が聞こえた。続けて古びた木製の扉が、ぎぎ、と音を立てゆっくりと開いてゆく。お互いの顔が見えるか見えないかという位置で、私は彼をストップさせた。
「ヘルガ――」
「わざわざこんな時間に、すまない。だが……見て、欲しかったんだ」
 暗渠の向こうの気配が静かに頷く。全て解っていると言っていた。覚悟はできていると言っていた。その表情は判らない。緊張して強張っているのか、哀れなものを見るような悲しみを宿しているのか。我侭な願いだが、そのどちらでもあって欲しくは無かった。
 ベッドの脇の電気ランプに手を伸ばす。オレンジ色の光がぼうっと点り、彼の顔を、私の身体を、お互いの前に晒し出してゆく。
 様々な感情を押し殺しているかのような、いつになく気難しげな表情だった。火が点った瞬間に、瞼がぴくりと動く。そして彼は、何も言わずに、徐々に視線を下げていった。
 上半身。母性を象徴する乳房には禍々しい痣が刷り込まれており、片方は膨らみすら存在しない。腹部と背部には無数の縫合痕と銃創があり、私の身体を見た人間はまずここで半数が目を背ける。
 下半身。傷の絶えない身体は、右腿を過ぎた辺りでふと途切れる。そこから先は、生命の息吹など一切感じられない木の義足が埋め込まれている。醜い上体に耐えた半数も、ここで思わず目を背ける。
 綺麗なのは顔だけだな、と吐き捨てるように言ったのは誰だっただろうか。だが、その顔すら、普段髪で隠している部分には浅黒い火傷の痕が残っている。
 彼は私を見つめていた。口をぐっと結び、傷の一つ一つを目に焼き付けるようにじっと目を離さずにいた。
 恥じらい、という感情が欠如しているわけではない。ただ、愛されるからには全てを知って欲しかったというだけの話だ。
 やがて彼は顎に手を置くと、考え事をするように眉根を寄せた。何を思っているのか。知りたいと願う気持ちと、知りたくないと願う気持ち、どちらもが内在している。考えがまとまったのか、彼は小さく頷くと、引き締まった相貌を崩さぬまま私の眼を見た。
「少し、待っていてくれないか。すぐに――戻ってくる」
「……ああ」
 目を閉じて首を縦に振った。瞼の向こうで、彼の気配が遠ざかってゆくのを感じると同時に、私はベッドに仰向けに倒れた。視界に入り込む月明かりを避けるように、腕で目元を覆う。
 逃げられた。だが、彼を憎む気持ちは毛ほども起きない。むしろよく耐えたのだ、彼は最後まで、この醜い肉体から目を逸らさなかったのだから。
 息遣いが消え、足音が消え、静寂が戻り、ふと目頭がじわりと熱くなるのを感じた。涙を流すなど、珍しいこともあるものだ。その理由を考えるうち、今度は笑いが込み上げてきた。
「くく……一体、何を期待していたんだろうな」
 多くの人間に目を背けられてきた。それが当然の反応であり、自分でも納得していたはずだった。それでも、人の温かさに触れれば、まだ私は求めてしまうのだ。
 この醜態を見てなお、ありのままの私を見てくれる人間を。
 憐憫に満ちた視線はいらない。だが、汚物を見るように目を背けられるのは心が痛む。
 ――どうか、この身体を見てなお、純粋な気持ちで私を愛して欲しい。
 叶うはずが無い願いを他人に託す私は、一体どこまで愚かで欲深いのか。
 彼を責めることなどできるはずも無い。顔色一つ変えなかった彼は、誰よりも優しかったのだから。

 


 どれくらい時間が経っただろうか。部屋の外から、深夜にも関わらずどたどたと喧しい足音が聞こえた。足音は荒い呼吸音と共に戸の前で立ち止まると、ノックもせずに私の部屋を開く。肩で息をしながら入ってきた彼は、両膝に手をつくと頭を下げる。
「わ……悪い、な。ちょっと、遅くなった」
「いや……構わない」
 起き上がり赤くなった目元をゴシゴシと擦りながら、少しばかり上ずった声を出す。一体、どうして戻ってきたのか。その疑問を読み透かしたかのように、彼は僅かにはにかんだ。
「意外と、手間取ったんだよ。宝石商を叩き起こすのにな」
「宝石商?」
 どうして、ここでそんな言葉が出てきたのか。私が考えるよりも早く、彼はポケットに手を突っ込むと、何かを摘み取り私の目の前へと差し出した。
 それは、弱々しい月明かりの中でキラキラと綺麗に輝く、小さな宝石を埋め込んだリングだった。
 私はただ、夢でも見ているのかと目を何度も瞬いていた。彼は悪戯っぽく微笑むと、私の左手を取り薬指にリングをはめてゆく。ふと見ると、彼の手でも同じリングが淡い光を湛えていた。
「どうすれば俺の誓いを一番ストレートに示せるか、考えてみたんだ。結局、金で買ったものじゃないかと思われるかもしれないけど――ただ抱き締めるより、ただ唇を重ねあうより、もっともっと強い意志を宿せる。俺は、そう思うんだ」
 彼は一度、優しく私の手を握ると、再び悪戯っ子のような微笑みを浮かべた。
「まあ、そのせいでヘルガを待たせちゃったのは悪かったけどね。どう? 待ってる間、寂しかった?」
「……バカ者が」
 憎まれ口が割って出る。それは、まさしく本当のことだったから。
 祈りを捧げるように、指輪を両手で包み込む。彼は嬉しそうに口元を綻ばせると、私の身体をそっと抱き締めた。
「さあ、俺は答えを示した。今度は、君の答えを聞かせてほしい」
 耳元での呟き。私は胸の中に広がる温もりを感じながら、彼の唇に長い長いキスをした。

 

 

(Fin.)